2010-11-30

幻燈上映会「中川妖怪絵巻」終了 / 気配の意味

土曜日、中川船番所での『中川妖怪船番所』にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。



昼間の公演で、しかもいわゆる劇場的な施設でもない場所だと思っていて、油断していた。
暗転があまりに完璧すぎて、いままで演奏してきたどの場所よりも真っ暗になったので、正直、びびった。
今回は PC や電気類は一切なし(電池駆動によるアンプ内蔵ギターは使ったけど)、正真正銘の「生」で臨んだこともあり、手元すらまったく見えないほどの、闇。
フレットがない三味線は、暗闇での演奏にうってつけだったかもしれない。
暗黒の中で、三味線による呪節がババン、と鳴った瞬間のことはこの先ずっと忘れられないだろうな。


ところで、「写し絵」は、集団による完全なる身体表現である。
いま、「身体表現なのかそれ以外なのか」という事に囚われている。

ただ単に身体を動かしていれば身体表現かというと、どうやらそうではないようだ。
あるいは、観客の目に「演者の身体の動き」が見えていればよいというものでもないようでもある。

舞台に佇む演者の存在そのものに積極的な「気配」があるかどうか。
もっと端的に言えば、「表現」に積極性があるかどうか。

「写し絵」のように集団で一つの像を構築するという作業は、演者同士の呼吸/連帯が不可欠である。
そこで必然的に各自が積極性をもって係わることになる。
このことは、僕にとっていま一番大切なことだと考える。

積極的な気配がないと、おそらく「個」としても成立し得ない。
そんなことを、今更だけど学習した一日。

2010-11-24

雑記/幻燈ライブのお知らせ

小学生の頃、合奏コンクールってのがあって、僕は大太鼓をやってた。

小学5年の時はオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」という曲をやって、6年の時はイッポリトフ・イワノフの「コーカサスの風景 第4曲「酋長の行列」」という曲をやった。

この「酋長の行列」という曲、めちゃ格好いいんだよねこれが。いま聴いててもうんこちびりそうなくらい格好いい。

よっしゃ今日はうんこちびるかーと思うたびに(いやちびらないけど)何年もまえに買ったロイヤルフィル演奏の CD を聴いていたのだけれど、このアルバムの前半に入っている曲もなんか格好いいなぁ、と思いつつ、特に誰の曲なのかとか意識していなかった。

で、きのうの朝リッピングしといたデータを iPhone に入れてるときに改めてジャケットを眺めてたら、なんかコダーイとか書いてある・・・

んーどっかで聴いたことある名前だなぁ、、これってもしかして須藤かよちゃんが幼少の頃に習ってたというコダーイ・メソッドの人じゃないのか、と思い当たり、本人に訊いたらやっぱりそうだった。

かよちゃんからコダーイ・メソッドがどういうものなのかをさらっと聴いてたので、その頭で改めて聴くと面白さ倍増。すごく良い。なるほど。

僕的には、久しぶりにおっきな意味のある発見だった。


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今週末、東京都江東区にある「中川船番所資料館」というところで、Hachioji影絵プロジェクトとして幻燈上映会をやります。

題して、「中川妖怪絵巻」

2010 年11月27日(土)
13時~14時30分
江東区中川船番所資料館3階資料室
東京都江東区大島9-1-15
観覧料(大人200円、小・中学生50円)
詳しいお問い合わせは
中川船番所TEL 03-3636-9091 まで


昼間の上演なので、ゆっくり散歩がてらお越し下さいませ。

今回、ぼくはなんと三味線演奏します。

母が踊りをやっていた頃に使っていていまはオネンネしてたのを借りてきて、自主練しまくり。


フライヤ






















プロジェクトのひとり、李漢強君が作ってくれたポスター

2010-11-16

「士」と「師」

人様に、ぼくが「なんなのか」を説明する場合、つまりぼくに「肩書き」というものを付与するとしたら。

自分で自分に肩書きを与える、というのは、つまりは「わたしはコレです」と世間様に対して宣言する、ということである。

ギターを弾くことにかけては人よりも秀でていると自他共に認められる人なら「ギタリスト」だし、依頼とあればスラスラと五線紙にオタマジャクシをしたためられる人なら「作曲家」だ。

で、ぼくはなにやってる人なのだろうか。

ギタリスト、っていうと、例えば Allan Holdsworth とか John Scofield とか Django Reinhardt とか寺内タケシみたいな方々なら、異論なくそう呼べる。

作曲家だとぼくなら武満徹とか伊福部昭とか Philip Grass とか吉田正をイメージしてしまう。

では、音楽家、だとすると、作曲もやるし、歌も歌うし、いろんな楽器の演奏もやるひと、ってことになるのかな。
それだと、渡辺勝さんを真っ先に思い描く。
大尊敬している勝さんはたしかに、目標にしているけど、でもやっぱり僕は音楽家か?、っていうとなんか違う。


「それで生活をしている」というやつがその人の肩書きとなるのだろうけど、ここではそれはちょっと脇にどけておくことにする。 

ここで考えているのは、自分をどう世間様に宣言するかっていう話だからさ。


で、色々考えていたら、ある彫像をやっている方が「私は彫像家、と呼ばれることに抵抗がある」と仰っていた。
「家」とつくのはどうやら「作家」という呼ばれ方をされているようで嫌だと。
流木や、里山で切られてきた余り木を素材にして彫像されているその方は、素材と対面して実際に彫ってみるまでは何が出来上がるのかわからない、と云う。

その人にとって「作家」とは、クライアントからの依頼があれば仕事としてモノを作る人、というイメージがあるらしい。
何ができるかわからないものにとりかかっている以上、自分は作家ではない、と。

で、「家」はいやだけど、「師」ならなんだか職人をイメージさせるから、「彫像師」がいいな、と言っていた。

なるほど。


そのアイデアを拝借して、ぼくは自分の肩書を「音師」だとしたら、なんだか良い感じだなぁ、と思った。
ただ、字づらにちょっと、違和感。
「師」は師匠/マスター、ってことなんだな。
それは、違う。そんな偉そうなもんじゃないし。

では、「音士」としたらどうか。
「士」は「つかえる」ってことでしょ。 うん、これが良いかな。 武士の士、でもあるしね。

音士、シューヘイまたはシューペイ。 なんだかしっくりきた感じ。
これから、コレ使おうかな。


ただ、「音士」ってなんですか?と訊かれた場合の説明のめんどくささを考えると、ここはやっぱり「ギター弾いてるシューペイです」と日和ってしまいそうで怖い。

2010-11-07

フレエム

阿佐ヶ谷・ギャラリー白線での『しあわせな泡』用に制作した楽曲を収録した CD-R に、公演では使用されなかった「海夢」という楽曲もおまけで収録したのだけれど、これが意外なところでプラスティックトゥリーというヴィジュアル系バンドのライブ用オープニング S.E. として使っていただけることになった。

その楽曲を先方に紹介してくれた白線・歸山幸輔くん(はプラスティックトゥリーの舞台装置設計や美術を担当しているのでした)のはからいで、ライブツアー千秋楽となる品川「ステラボール」での公演を見学させていただけることになったので、お言葉に甘えてお邪魔してきた。

歸山くんがデザインした、昇降する照明オブジェなども含め、舞台には様々に趣向を凝らした照明機器が配置されていたのだけれど、それらの演出効果がもうほんとうに素晴らしかった。

主役はあくまで音楽。
で、照明などの舞台演出は音楽の世界観をとても丁寧に「サポート」する役目に徹していたのが、まぁ当たり前といえばそうだけどもうプロの仕事ってこういうのを言うんですね、というくらい素敵だったのだ。

最近の舞台照明は LED 光源を使っているために光線がとっても鮮明で、色の変化や光線の向きなどを巧みに演出することで、かなり立体的な効果を醸すことができるんだね。。。凄い。

ステージ上で繰り広げられる演奏者たちの熱演をふくめ、舞台そのものを「一枚の絵」として表現できる、ということは、なんて素晴らしいんだろう。

プラスティックトゥリーの、詩的で繊細な音楽を見事に具現化した素晴らしい舞台に、完全に魅せられちゃった。

僕の楽曲を爆音で聴くことができたこともあわせて、なんとも幸せな一夜。

2010-11-01

へ、じゃなくて、ペ

昨夜は、雑司ヶ谷鬼子母神にて、劇団唐組秋公演「ふたりの女」千秋楽を観てきた。

お芝居が素晴らしいのは言わずもがななのでここには書かない。


打ち上げの最中、唐さんがぼくらの島に寄って下さり、いろいろ話をしていたのだけれど、唐さんがいきなり僕をみて「キミ、キミだれだっけ?」とおっしゃるので、「あ、ぼくは以前首藤さんの幻燈写真で音楽をやらせていただいたシューヘイともうし・・・」まで言ったところで、「ん、シューペイ?シューペイ?」と。

あ、いいです、シューペイです。今日からシューペイですぼく。

というわけで、ホームページちょっと直しました。

http://shuhey.com/

あほみたいなんだけど、実はこれかなり前から悩んでたことの解決策だったんだなー。

欧米の人たちは「シューヘイ」ってどうやら言いづらいみたい。

おとつい阿佐ヶ谷で謎のフランス人と飲んでたときも、僕の名前を「ジューペイ」とか「シューメイ」とか言ってた。

誰、それ?

ブラジル人も、韓国人も、いいづらそうにしてたなそういえば、と。


でまぁ「シューペイ」ならどこ行っても通用すると思ったので、唐さんのをそのままいただくことにしたって訳さ。

あだ名みたいなもんなので、シューヘイでもシューペイでもどっちでもいいっす。

ちなみに、shupey.info ドメインはもう取得しちゃった。はは。

棚ぼただなぁ、しかし。

唐さんありがとう。

『坂本宰の影・共演「結ぼれ」』@plan-B

本番の数日前、坂本くんからのメールで「会場でピアノの移動を手伝ってほしい」とのこと。

おやすいごようだ、というわけで、当日は少し早めに会場に向かう。

前日にものっすごい雨が振り、こりゃ自他共にみとめる雨男・坂本くんの面目躍如かと思いきや、あにはからんや当日は曇ってこそいるものの雨が振っていない。 

会場に到着し、初めてお目にかかった Pf 新井さん、Perc マルコスさんらにご挨拶し、えっちらおっちらと僕を含めて 5 人がかりでピアノを移動させる。

で、無事に任務の半分(残り半分は終演後に元の場所に戻す作業)を終え、いざ本番を楽しんだのであった。


今回は、3人によるセッション、という訳で、これはちょっと珍しい。

ほんとのことをいうと、本番を観て、僕はちょっと嫉妬しちゃうかも? などと思っていたのだけれど、いやいや嫉妬なんかしてるヒマもないほど、とっても素晴らしいパフォーマンスであった。

僕は、こういう「坂本宰の影」をずっと観たかったのかもしれない。

そう思わせてくれるような、素敵な 1時間20分。


終演後にまたえっちらおっちらとピアノを元の位置にもどし、そのまま打ち上げ。

今日はここに泊まって翌日に撤収作業をするという坂本くんを残し、さてみんなで帰りましょう・・と思ったらぼくも plan-B で夜を明かすことになっちゃった。

いろいろ、良い話も悪い話も含めて、この人と話をしてるとほんとに背筋がぴんと伸びる。

朝方 4時くらいに 2人ほぼ同時に撃沈。


思いがけず熟睡してしまい、目が覚めたら朝 9:30。

起きたら彼はすでに撤収作業を始めていたので合流。 と言っても機材とかは坂本くんなりの仕舞い方がありそうで手が出ないので、僕は店内の掃除など。

外は、けっこうな雨。

ばかでかい荷物を持って帰る日に雨降らせてどうする、坂本くん。。


ザーザーと雨が降る plan-B の前で、本人曰く 30kg はあるらしい機材を携えている坂本宰の影の本体と別れ、昼ごろ帰宅。


台風きてるだと?

関係ないね、って訳で夜はちょいと阿佐ヶ谷に出かけ、酎ハイやら芋焼酎やらで酔っ払い。

夜も更けると雨は止んでいた。