2011-02-21

一年ぶりの大阪

金曜日の夜、渋谷から出発した深夜バスに揺られて、首藤幹夫さんと一年ぶりの大阪へ。
今回の旅は大阪芸大の池田先生率いる「錦影繪池田組」による幻燈作品を鑑賞するのが主な目的。

相変わらず、深夜バスでの移動はとても楽しい。
今回の乗車で強く感じたのだが、どうやら「深夜バスという移動手段を選ぶ人種」がこの世には居るらしい。
あの一種独特な「暗闇の方舟」の空気感を醸すのは、長時間を共に過ごす乗客たちの気配に拠るところが大ではないか。
連れを伴いわくわく気分で乗り込む身で云うのもなんだが、客席のあちこちを埋める「笑わぬ表情の一人旅」になんとも言えない興味を覚えてしまう。
他所様の旅の事情を探ることなど野暮なことと思いつつも、真っ暗闇の中で高速道路を移動する間、彼らの秘めたる旅の動機を夢想せずにいられない。


上映会の会場は富田林市「寺内(じない)町」jの一角にある「旧杉山住宅」という、ほんものの重要文化財である。
大阪という都会にあって、寺内町の町人風な家並みはとても良い。


池田組の上演の前、松本夏樹さんによる「手回し活動写真『Endless Action』」を観る。
古い映画フィルムの端切れを、子どもが絹糸で繋ぎあわせて作ったという手回しフィルムを観ていたら思わず涙腺が緩んでしまった。
無邪気ないたずらで作られたものなのだろうか。妙に感傷的になってしまった。


いよいよ、初めて拝見する錦影絵「寺内町当曲螢道(じないまちあたりきょうげんほたるみち)」。
言葉での表現を使わなかった Hachioji影絵プロジェクトとは違い、30分に及ぶ全編にわたって「上方落語風」の語りが入る作品。
若干冗長さは感じたものの、その緻密な構成にただ、圧倒されてしまった。
ストーリーを表現する演者たちのフロを操作するタイミング、語りの全てが滑らかで、相当、周到に準備されたであろうその過程を想像すると思わず気が遠くなる。

語りを担当していた方の外音の調子が芳しくなく、聞き取りにくかったのは残念。
音士の僕としては、音響と効果音にもう少しだけ工夫の余地を思う。

とはいえ、全体的には風情漂う素晴らしい作品でとても素敵なひとときであった。


幻燈鑑賞後、東京から別便でいらしてた写真家の白石ちえこさんとなんばに流れて我々だけで打ち上げ。
良い話がたくさん聴けてこれも楽しかった。


首藤さんとは朝までいろいろ語り合い(というか飲んだくれ)、昼便の高速バスで帰京の途についた。
東名高速もそろそろ川崎か、という辺りで高速道路上のバス停で停車してくれることがわかり、試しに「宮前」というところで下車してみたら田園都市線の宮前平駅近くであった。
高速道路のバス停で降りたのは生まれて初めての経験だ。
本来は東京駅までのチケットを買っていたのだが、多摩川の東側に棲む我ら二人にとってはこの方が都合が良い。
予定よりも2時間は早く帰宅して大阪の旅は無事終了。

今回も、濃く充実した良い旅であった。

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2011-02-07

perfect pitch

最相葉月著「絶対音感」(新潮文庫)を読んだ。

ちなみに、絶対音感はぼくには、ない。
ギターというのは自分でチューニングしなきゃいけない楽器なのだけれど、チューニングメーターや音叉がそばにないときはとりあえず他の楽器に合わせたり、それもないときは BGM でかかってる音楽にあわせて「この音が A(ラ)かな」などとてきとーにあわせるので間に合わせる。
そんないいかげんな楽器を弾いてるので、「絶対音感」というものとはまったく縁がないといっていい。

あるいは、ピアノだってチューニングは狂う。
昔ジャズ屋で P.A. やっているときはぼくも「なんちゃって調律師」をしていた。
とはいえ、ゼロから調律するのはさすがに無理。
ぼくができるのはせいぜい、1音につき3本のピアノ線が共鳴するピアノという楽器の、その3本の微妙なズレを直すことくらいである。
微妙なズレをそのままにしておくと、ホンキートンクピアノというか、なんだかモジュレーションがかかったような甘い音になってしまう。

ただし、微妙なズレとはいえ適当には直せないわけで、オクターブ上下の同じキーとピッチがあってるか、とか、和音を鳴らしてみて鳴り方が変じゃないか、というのは気をつけないといけない。
だから、厳密な意味での調律ではないにせよ、ザラーっと上から下まで音を出してみて「変なモジュレーションがかかってなくて、和音が綺麗に出る」調律ならできる、という程度である。
とはいえたったそれだけの作業でも、30分くらいはかかっちゃう。
モジュレーションがかかってるキーが3つもあると 1時間は要していたかもしれない。

そんなぼくが調律したピアノを、絶対音感のあるピアニストが弾いたら、もしかしたら気持ち悪い、と思われていたこともあったかもしれない。


さて、絶対音感、って、僕の周りでもなんだか錦の御旗のごとく有難がるひとがいたりするのだけれど、果たしてそんなにいいものなのかな、というのはなにかにつけ、気になっていたのだが、上記の本は、そんなぼくのもやもやをある程度すっきりさせてくれたとても良き読み物であった。

そもそも、絶対音感がそんなに有り難いものなのか?、という疑問をなぜ持ったかというと、一番の理由は上にも書いたように「世の中そんなに正確な音程の楽器ばかりではない」ということを僕自身がよく知っているからだ。

やはりというか、たった 1Hz の違いでも、世の中には気持ち悪くなるひとがいるんだとか。 うーむ。。

ギターの 1弦のチューニングが狂ってる、っていうのならわかるけど、楽器として全体的に 1Hz 違っている、しかも一緒に演奏する他の楽器も同じように 1Hz の違いでチューニングをあわせている、という状態で、いったい何が問題なのかぼくにはまったくわからない世界である。。


その他、いろいろと、興味深いトピックもあった。例えば、
日本の「絶対音感教育」というのは大戦中に軍事教育に利用されたことある(潜水艦や戦闘機が飛んでくる音を感知することが作戦に影響を及ぼす、という考え(!)、、それではまるで人間レーダーではないか)、とか、
アメリカの大きなホールに置かれている生ピアノは A=442Hz で調律されていたり、古楽器になると A=414Hz でチューニングする(ちなみにギターなどで使うチューニングメータでは、A=440Hz)、とか、
「ド・レ・ミ・・・」という呼び方には「ドはド」として捉える「固定ド唱法」と、調が変わってもルート音を「ド」だとする「移動ド唱法」ってのがある、
などなど。

最後の「移動ド唱法」ってなんかややこしい・・
そういえば、中学校の音楽の先生は教科書の音符に「よみがな」をつけるのが好きなひとだったけど、ハ長調じゃない楽曲のとき、五線譜の「レ」を「はい、ここはドで」みたいなこと言っててなんか混乱したことがあったな、、

昔ジャズを習った先生は、「音楽の教科書も A とか Bb(フラット)で教えればいいのに」と言っていた。
それ、ぼくも賛成。
「嬰ハ短調」っていうよりも「C#m(シー・シャープ・マイナー」っていう方がいまどきは解りやすいと思うし、余計なこと覚えなくていいと思うんだけど(そもそも「嬰」ってなんて読むの・・)


楽曲を聴いた瞬間、すらすらと譜面に音符を書くことができる能力は、それを目の当たりにすると「おおかっこいい」と思うのだが、それをなすための「絶対音感」という能力がもたらす弊害も考えると、これからはなんだか複雑な心境に陥りそう。


本書を書かれた最相葉月さんは、音楽家ではない。

なので、絶対音感が良い・悪い・という視点ではなく、あくまで「絶対音感とはなんなのか」という興味だけから、緻密な調査を経てこれを書かれている。

深読みなどはせずとも、「絶対音感」という題材の裏に横たわる、ときには音楽とは関係がないものも含めたいろいろな問題を知ることもできる。

とても面白い一冊。

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2011-02-04

春ですな

花粉が飛び交いはじめてて、もうすでに息も絶え絶え・・ しむー


今月、一年ぶりに首藤幹夫さんと大阪に行きます。

今回は自分たちのライブではなくて、大阪芸大の池田先生率いる「錦影繪池田組」の上演を観るのが目的。

去年、首藤さんとの大阪ツアーの合間を縫って二人で池田先生の研究室を訪ねたときには、まだぼくらは影絵の実地体験はしていなかった。

で、一年かけて「写し絵」(影絵)に携わったあとで観る、初めての「錦影絵」。

これがもう、とても楽しみなのである。


大阪方面でお時間ある方は、ぜひご一緒に富田林に行きませんか。

暗闇に漂う幻に酔いしれたあと、するめの天ぷらを肴に酔いつぶれましょう(えー)