2018-10-27

アフシンさん、ヘルミー、ラーナーイーさん一家

朝、北川くんを見送り、洗濯を済ませてシャワーを浴び、昨夜アフシンさんから届いたままだったメッセージを読み返す。

日本にいると思っていたアフシン・ヴァリーネジャドさんは、いまテヘランに帰省中らしい。 それならばと、電話で連絡を取り、アフシンさんの家にタクシーで向かう。

アザディ・スクエアからほど近い閑静な住宅地にあるアフシンさんの住まいに到着すると、本人とお母さんに迎え入れていただいた。

アフシンさんがいま制作中だという、会津山都町の老人を題材にしたドキュメンタリーの素材を見せていただく。。。 テヘランにまで来て会津山都町の映像を見ることになるとは思いもしなかった。。笑



そういえば、山都町に移住して久しいアフシンさん、日本語のイントネーションがほぼ会津弁になっていて、かなり可笑しい。

お母さんに「お昼食べていきなさい」とお誘いいただき、絶品家庭料理をご馳走していただく。 アフシンさんは「イランに帰るとお母さんの料理が美味すぎてかならず5kgは太る」って言ってたけど、うんうん、わかるわかる。。 俺もけっこう腹一杯になるまで頂いてしまった。



アフシンさんと別れ、アザディ・スクエア周辺をとめどもなくぶらぶらと散策。




かなり歩いたところでメトロの看板を見つけたので近寄っていくと、路上で女性のセタール奏者が独奏していた。 今回の旅行で初めての女性奏者。しかも独り。  カメラ、いいですか?というジェスチャーをしたら「No No」と手を振られた。 それはそうだよね、ごめんなさい。 で、しばらく彼女の演奏に聴き入る。 とても丁寧な爪遣いで繊細ながら情感がこもった演奏。 聴いていたら力が湧いてくるようだ。 


メトロとタクシーを乗り継ぎ、パークウェイの馴染みのカフェへ。 北川くんと落ち合い、タクシーに乗ってトンバクの総本山、「ヘルミー」に向かう。



この店も、外から見ると目立った看板がないただの一軒家。 インターフォンの上部にマジックで「تنبکستان」(トンバケスタン)とだけ描かれている。



ここも独りでは絶対に見つけられないなぁ、と思いつつ、建物の中へ。




応接室に通されると、そこはトンバク屋さんというよりもちょっとした楽器博物館であった。




実は、俺がイランに来れるなんて夢にも思っていなかった今年の8月、北川くんにお願いしてヘルミのトンバクを一つ特注で購入していた。その時、北川くんには何度か足を運んでもらい、かなりお手数いただいていたのであった。 それ以前からこの店には何度も来ている北川くんは、もはや常連中の常連なのである。

最初、二代目の息子さんが応対してくださっていたのだが、奥からなんだか貫禄のある声が聞こえたな、と思っていたらなんと創始者本人のフェレイドゥン・ヘルミーさんがご登場。 うわ。 馴染み客のシューイチが連れてきた日本人?どれどれ、って感じだったのだろうか。



今回、替え用の皮を買いたい、という俺に初代ヘルミーさんは興味を持ったようで、「皮の張り方知ってるのか? やったことあるだと? 時間どれくらいかかったんだ?」などと訊いてくるのに応えていたら、「明日の朝、作業場で皮張り作業やるから、よかったら見に来なさい」と言っていただいてしまった。 わわわわ それはもちろんお言葉に甘えさせていただきます。

取り急ぎ、ヤギの皮を二張分、その場でカットしてもらって購入。



店内に、絢爛豪華、超高級な一品があったが、イランリアル暴落のあおりでユーロに換算したら驚きのお値段で買えることがわかってしまった。 ああ、心がぐらぐらと揺らぐ俺。 でもここはぐっとガマンしたのであった。



お店にいるあいだ、後から何人かのお客さんが来店していたが、皆さんなんと俺がイスファハーンで買ってきたのと同じ、シーラ二のソフトケースを持参していた。笑 うーん。。


ヘルミを後にし、近くのチャイハネで茶をしばいてしばし休憩。


再びタクシーに乗り込み、ラーナーイー一家のご自宅へ。

到着すると、久しぶりのシューレーシュさんに出迎えられ、お宅に一歩足を踏み入れたら紗和子ちゃんと近内恵子さんが。 サプライズということだったみたいなのだが、ほんとに驚いたわ。笑

音楽一家のホームパーティ、というものを、この旅行のあいだに体験できてとても貴重な時間を過ごした。

不意に始まったシューレーシュの超絶演奏のあと、静かに始まったお父さんによるタンブールの演奏。 これが全身から音が染み込んでくるような静謐で荘厳な音楽であった。 テヘラン滞在の最後の最後にこれほどまでに素晴らしい演奏が聴けるなんて。


日が変わる頃ラーナーイー宅を後にして、タクシーで北川くん宅へ。

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