冷蔵庫の中に、いつ買ったのか忘れてしまった(たぶん二週間前)トマトがあった。
ジャガイモやにんにくも、出番を待たせたままたぶんこれも二週間ほどしまったまま。
それで、今夜はトマト鍋にすることにした。
そういえば、冷蔵庫にはアンチョビの残りもタッパーにしまったままだった。
というわけで、アンチョビの塩気を活かしたトマト鍋ができたのだが、これが思っていた以上に成功。
料理のレパートリーは、思わぬところで生まれる。
2015-11-29
2015-11-28
メズラーブ
昨夜、イスタンブールの店に発注していたセタールが届いた。
もう太鼓以外の楽器はやらないだろう、と思っていたのに、いざ手にしてみると、あのロトフィさんやアリザデさんらが弾いているメロディを、自分でも演奏できるチャンスが到来したことに、意外なほど昂揚する。
お店の人に、セタール用のメズラーブ(付け爪)がないか訊いたら、売り物が切れているので、お店の人の所有物を一個プレゼントするよ、と言って同梱してくれていた。ありがたい。
ところが、細い針金でできたそのメズラーブは、ものの10分も弾かないうちに切れてしまったのだった。
それで、朝、開店を待ってパルコ内の山野楽器に行き、ギター用の人差し指ピックを選んで買ってきた。
もちろん、セタールも一緒に持って行って、実際に指に付けて弾かせてもらったので、何種類もの中からこれぞ、というものを選んだ。
鉄製のそれは、ラスト(ダウンストローク)にもチャップ(アップストローク)にもほどよいヒット感があり、なかなか使いやすい。
しかし、いかんせん鉄製なので、先端がボディをこすると、板面に傷がついてしまう。
夕方、ふたたび渋谷の楽器屋に出向き、プラスチック製で形状も異なる別のギター用ピックを買ってきた。これなら板面を傷付けることもなさそう。
弦楽器を楽しむ日々をまた過ごすことになり、とても嬉しい。
もう太鼓以外の楽器はやらないだろう、と思っていたのに、いざ手にしてみると、あのロトフィさんやアリザデさんらが弾いているメロディを、自分でも演奏できるチャンスが到来したことに、意外なほど昂揚する。
お店の人に、セタール用のメズラーブ(付け爪)がないか訊いたら、売り物が切れているので、お店の人の所有物を一個プレゼントするよ、と言って同梱してくれていた。ありがたい。
ところが、細い針金でできたそのメズラーブは、ものの10分も弾かないうちに切れてしまったのだった。
それで、朝、開店を待ってパルコ内の山野楽器に行き、ギター用の人差し指ピックを選んで買ってきた。
もちろん、セタールも一緒に持って行って、実際に指に付けて弾かせてもらったので、何種類もの中からこれぞ、というものを選んだ。
鉄製のそれは、ラスト(ダウンストローク)にもチャップ(アップストローク)にもほどよいヒット感があり、なかなか使いやすい。
しかし、いかんせん鉄製なので、先端がボディをこすると、板面に傷がついてしまう。
夕方、ふたたび渋谷の楽器屋に出向き、プラスチック製で形状も異なる別のギター用ピックを買ってきた。これなら板面を傷付けることもなさそう。
弦楽器を楽しむ日々をまた過ごすことになり、とても嬉しい。
2015-11-27
2015-11-26
2015-11-25
2015-11-24
ビデオ
熱が下がり、起き上がれるようになったので、録画しておいた映画やドキュメンタリーをひたすら見る。
「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦」
メディアはかくあるべし、などというつもりはないが、少なくともロバート・シルヴァースという純然たる知の追求者がイニシアティブをとるNYRBという雑誌は、相対的な真実などという曖昧な事物などではない、いわば「絶対的ドメスティックな真実」とでも呼べるような情報を発信している、数少ない良心的な媒体であることに間違いはない。そこに記載されている記事は、掲載される前に徹底的に議論され、吟味される。しかし記事が世に出た後でもその文面には議論の余地が生まれ、伝説となるほどの紙面上の議論がいくつも生まれる。大衆が安易に欲しがりがちな「たった一つの解答」などというものは、この多元的な世界にはあるはずもなく、しかし物事の本質を見抜くその知力は、これまでにいくつかの重要な「大いなる欺瞞」を暴いてきた。売れる雑誌なんて作るつもりはなかった、というシルヴァースの信念はいまでも鋼でできた杭のようにしっかりと地に打ち込まれている。「雑誌では世の中は変わらない。しかし思索という雰囲気は作ることができる」という言葉が沁みる。
「ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。~「月蝕歌劇団」30年の挑戦~」
主催者がいう「暗黒の宝塚」というキャッチコピーどおりの活動をしている月蝕歌劇団。その高取英氏は、当時は天井桟敷よりも状況劇場が好きだった、という。しかし自身は寺山の根城に居候し、やがて寺山の作品を上演する劇団を持つことになる。そこは別にアナロジカルに考えるところではないかもしれないが、どうしても寺山作品が苦手な俺にとってはなんだか示唆的な話だ。
「贖罪の街」
フォレスト・ウィテカーはほんとに上手い役者さんだと思う。この人とジェイク・ギレンホールの「困った時の八の字眉」は世界遺産に登録した方がいい。
「遠い空の向こうに」
そのギレンホールの「困った八の字眉」を堪能したくて、もう何十回目だかの鑑賞。しかし何度見ても素晴らしい。全てがよく出来た映画。
「誰よりも狙われた男」
フィリップ・シーモア・ホフマンの、鼻で息する高血圧そうなデブっぷりが凄い。「情報局の攻防もの」としては凡庸なストーリー。
「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦」
メディアはかくあるべし、などというつもりはないが、少なくともロバート・シルヴァースという純然たる知の追求者がイニシアティブをとるNYRBという雑誌は、相対的な真実などという曖昧な事物などではない、いわば「絶対的ドメスティックな真実」とでも呼べるような情報を発信している、数少ない良心的な媒体であることに間違いはない。そこに記載されている記事は、掲載される前に徹底的に議論され、吟味される。しかし記事が世に出た後でもその文面には議論の余地が生まれ、伝説となるほどの紙面上の議論がいくつも生まれる。大衆が安易に欲しがりがちな「たった一つの解答」などというものは、この多元的な世界にはあるはずもなく、しかし物事の本質を見抜くその知力は、これまでにいくつかの重要な「大いなる欺瞞」を暴いてきた。売れる雑誌なんて作るつもりはなかった、というシルヴァースの信念はいまでも鋼でできた杭のようにしっかりと地に打ち込まれている。「雑誌では世の中は変わらない。しかし思索という雰囲気は作ることができる」という言葉が沁みる。
「ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。~「月蝕歌劇団」30年の挑戦~」
主催者がいう「暗黒の宝塚」というキャッチコピーどおりの活動をしている月蝕歌劇団。その高取英氏は、当時は天井桟敷よりも状況劇場が好きだった、という。しかし自身は寺山の根城に居候し、やがて寺山の作品を上演する劇団を持つことになる。そこは別にアナロジカルに考えるところではないかもしれないが、どうしても寺山作品が苦手な俺にとってはなんだか示唆的な話だ。
「贖罪の街」
フォレスト・ウィテカーはほんとに上手い役者さんだと思う。この人とジェイク・ギレンホールの「困った時の八の字眉」は世界遺産に登録した方がいい。
「遠い空の向こうに」
そのギレンホールの「困った八の字眉」を堪能したくて、もう何十回目だかの鑑賞。しかし何度見ても素晴らしい。全てがよく出来た映画。
「誰よりも狙われた男」
フィリップ・シーモア・ホフマンの、鼻で息する高血圧そうなデブっぷりが凄い。「情報局の攻防もの」としては凡庸なストーリー。
2015-11-23
2015-11-22
2015-11-21
帰京
昨夜寝る時にエアコンのスイッチを切り忘れてしまい、喉に猛烈な痛みを感じて目がさめる。
それでもあの味が忘れられずに再び牧志の定食屋に行き、喉の痛みも流し込むかのごとく、早朝沖縄そばを食べる。
帰りの飛行機に乗り込むと、今度は機内の乾燥した空気に追い打ちをかけられ、東京に着くころには完全に風邪の初期症状に陥っていた。
留守の間、猫たちの世話をお願いしていた杉本さんの家にお土産を届け、そのまま外語大の学祭を観に行ったが、寒気がひどく、すぐに帰宅。
風呂に入りたかったし洗濯もしたかったが結局なにもできず、葛根湯を飲んで布団にくるまり、気を失う。
それでもあの味が忘れられずに再び牧志の定食屋に行き、喉の痛みも流し込むかのごとく、早朝沖縄そばを食べる。
帰りの飛行機に乗り込むと、今度は機内の乾燥した空気に追い打ちをかけられ、東京に着くころには完全に風邪の初期症状に陥っていた。
留守の間、猫たちの世話をお願いしていた杉本さんの家にお土産を届け、そのまま外語大の学祭を観に行ったが、寒気がひどく、すぐに帰宅。
風呂に入りたかったし洗濯もしたかったが結局なにもできず、葛根湯を飲んで布団にくるまり、気を失う。
2015-11-20
2015-11-19
2015-11-18
2015-11-17
2015-11-16
2015-11-15
2015-11-14
横須賀から高円寺、そしてまた横浜へ
朝から車で移動。
まずは横須賀へ。
フレームドラム仲間の小島直子さんが企画してくれたとある発表会に参加するため、横須賀中央協会へ。
とても心地よい自然エコーが感じられるホールで、ピアノ、オルガン、金管、木管、擦弦などいろんな楽器の演奏を楽しむ。
トリで演奏させてもらったわれわれのフレームドラムチームは、念願の人前での演奏をやっと叶えることができたのだった。小島さんには本当に感謝。
雨がどばどばと降る高速道路を飛ばし、高円寺ボルボルへ。
北川くん、武田歩さんらによるペルシア音楽のライブを観に行く。
本ちゃん終了後、ちょっとだけ北川くんとセッションをさせてもらう。知っている曲を北川くんがチョイスしてくれたことと、今日はアルコールを一切飲んでいないことが幸いして、この日の演奏はまぁまぁよかったのではないか。
終電の時間が近い、というのに、ババク、シア、歩さんらととつぜん大セッション大会が始まる。ああ、これほんとに楽しいし勉強になる。
完全に終電を逃しているババク氏を戸塚区の自宅まで送り届けるため、さっき高円寺に向かうときに通った高速道路をふたたび横浜方面へ。
真夜中、ナボット入りの紅茶をご馳走になり、氏が所有する CD をあれこれ物色させてもらう。
日本からは入手不可能と思われるものを含む 10枚の CD を借りる。
帰宅したら、もはや早朝的な時間であった。
風呂に入り、布団で倒れこみ、気を失う。
まずは横須賀へ。
フレームドラム仲間の小島直子さんが企画してくれたとある発表会に参加するため、横須賀中央協会へ。
とても心地よい自然エコーが感じられるホールで、ピアノ、オルガン、金管、木管、擦弦などいろんな楽器の演奏を楽しむ。
トリで演奏させてもらったわれわれのフレームドラムチームは、念願の人前での演奏をやっと叶えることができたのだった。小島さんには本当に感謝。
雨がどばどばと降る高速道路を飛ばし、高円寺ボルボルへ。
北川くん、武田歩さんらによるペルシア音楽のライブを観に行く。
本ちゃん終了後、ちょっとだけ北川くんとセッションをさせてもらう。知っている曲を北川くんがチョイスしてくれたことと、今日はアルコールを一切飲んでいないことが幸いして、この日の演奏はまぁまぁよかったのではないか。
終電の時間が近い、というのに、ババク、シア、歩さんらととつぜん大セッション大会が始まる。ああ、これほんとに楽しいし勉強になる。
完全に終電を逃しているババク氏を戸塚区の自宅まで送り届けるため、さっき高円寺に向かうときに通った高速道路をふたたび横浜方面へ。
真夜中、ナボット入りの紅茶をご馳走になり、氏が所有する CD をあれこれ物色させてもらう。
日本からは入手不可能と思われるものを含む 10枚の CD を借りる。
帰宅したら、もはや早朝的な時間であった。
風呂に入り、布団で倒れこみ、気を失う。
2015-11-13
2015-11-12
仙川にてジャワシャワー
自宅からチャリで20分で行ける「せんがわ劇場」にて、中村伸(のびる)さん企画の「ジャワの夜遊びのココロだ2」を観る。
ガムラン、ジャワ版の詩吟、動物モノの人形劇(ワヤン・カンチル)、踊り、そして影絵。
静かな音の中に躍動を感じ、大きな影の動きの中に世の儚さが垣間見える。
ジャワの芸能の全てを満喫した、とは言わないが、その奥深さ、豊かさを感じるには十分な1日だった。
ガムラン、ジャワ版の詩吟、動物モノの人形劇(ワヤン・カンチル)、踊り、そして影絵。
静かな音の中に躍動を感じ、大きな影の動きの中に世の儚さが垣間見える。
ジャワの芸能の全てを満喫した、とは言わないが、その奥深さ、豊かさを感じるには十分な1日だった。
2015-11-11
2015-11-10
2015-11-09
2015-11-07
2015-11-06
アリアクバリ・シェイダ
シアに教えてもらったアリアクバリ・シェイダ( علیاکبر شیدا )が作曲した曲の数々を聴いて過ごす。
そういえば、いままでに聞いてきた様々なひとのアルバムの中で気になった曲のいくつかはシェイダの作品なのであった。
オスタード・ルーホッラー・ハーレギー( روحالله خالقی )の曲のような普遍的ポップス性ももちろん備えているが、シェイダの方がもっと土着的というか民謡性が強い。
いろいろ調べていくうちに、シェイダはスーフィズム一派だということが判り、とたんに深い愛情が湧いた。
そういえば、いままでに聞いてきた様々なひとのアルバムの中で気になった曲のいくつかはシェイダの作品なのであった。
オスタード・ルーホッラー・ハーレギー( روحالله خالقی )の曲のような普遍的ポップス性ももちろん備えているが、シェイダの方がもっと土着的というか民謡性が強い。
いろいろ調べていくうちに、シェイダはスーフィズム一派だということが判り、とたんに深い愛情が湧いた。