2011-09-29

strings of life vol.3 での演奏

9/23、武蔵小金井シャトー2F で開催された「strings of life vol.3」での演奏の模様。








2011-09-20

まぼろし

11世紀に生きた、ペルシアの科学者にして哲学者、そして詩人のオマル・ハイヤームによる四行詩「ルバイヤート」(訳:小川亮作)より。

105

戸惑《とまど》うわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火《ともしび》を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。

106

ないものにも掌《て》の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

出典:青空文庫より


今週の木曜日、江古田 Cafe FLYING TEAPOT にて、投げ銭での幻燈写真上映会をやります。
遅めの開演ですので、仕事帰りにでもどうぞお立ち寄りください。

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『some kind of pleasure vol.2』
2011年9月22日(木曜)
Cafe FLYING TEAPOT
東京都練馬区栄町27-7 B1F
西武池袋線江古田駅・歩5分
西武有楽町線新桜台駅・歩5分(副都心線直通)
都営大江戸線新江古田駅・歩10分
TEL: 03-5999-7971

開場: 夜七時
開演: 夜八時
ドリンクオーダーのみ、投げ銭

音/ シューヘイ
幻燈写真/ 首藤幹夫

2011-09-10

Live Informations (September 2011)

この九月、三つのライブのお知らせがあります。

一つめ。

『some kind of pleasure vol.2』
2011年9月22日(木曜)
Cafe FLYING TEAPOT
東京都練馬区栄町27-7 B1F

開場: 夜七時
開演: 夜八時
ドリンクオーダーのみ、投げ銭

音/ シューヘイ
幻燈写真/ 首藤幹夫

「幻燈写真」とは、複数のフィルムスライド機(スライド・プロジェクター)を操作しながら、本来は静画であるリバーサルフィルム(写真)を変化させつつ同時に映写することで動画のような効果を生み出す手法。
その、首藤さんの両手から放たれるフォトンたちに、僕はずっと魅せられてきました。
シンプルな時空の流れの中にこそ、豊かな物語が存在するんだと僕は思います。
秋を迎える直前の夜、一篇の名もなき映画を鑑賞する気分でお越しください。


二つめ。

『strings of life vol.3』
2011年9月23日(金曜)
アートスポット・シャトー2F
東京都小金井市本町 6-5-3 シャトー小金井 2階

開場: 夜6:30
開演: 夜7:00
チャージ 1,000円(隣でカフェを併設しています)

shibata
yamaga shizuka
シューヘイ
山田民族

フレットレスギターの演奏を、静かに行います。


三つめ。

『stringraphyLabo vol.2』
2011年9月25日(日曜)
スタジオ・イヴ
東京都世田谷区松原 1-4-13 (京王線代田橋駅より徒歩5分)

時間:19時open 19時30分start
料金:1500円
予約、お問い合わせ、ライブの詳細などはこちら

ストリングラフィ: 鈴木モモ (Minako Suzuki)、篠原もとこ
ガムラン: 川村恒平斎 (滞空時間 TAIKUHJIKANG)
音響: シューヘイ

僕は演奏での出演ではなく、ブライアン・イーノ風に云えば「サウンドスケープ」として参加します。


よろしくです。

2011-09-08

にんぎょう

過日、初めて「結城座」の公演を観た。

370年も続くという伝統のあやつり人形芝居。

観たのは「スタジオ古典公演」ということで、小金井の結城座スタジオ内で開催された「古典物のみ」の公演であったのだが、のっけから神経の細やかな人形の動きにかなり魅せられた。


結城座では、人形遣いが自ら台詞を語る。

ということは、人形を操り「第二の自分」に演技させながら、第二の自分の言葉を語る、ということだ。

これはおそらく、ものすごいこと。


そして先週、その結城座を辞めた結城一糸と「元」11代結城孫三郎だった田中純が旗揚げした「江戸糸あやつり人形座」の公演、「アルトー24時」を観た。


たて続けて結城一門の人形を観る機会に恵まれたのは、ほんの「たまたま」。


アルトーを演じていた人形は、これはもうまったくもって完全なほど「ひとがた」なのであった。

物体としては人形だが、存在としては人間。


そして、生身の役者である人間もまた完璧に「ひとがた」であった。

存在としては人間だが、舞台上にあるそれは、人の形をした何か。


めまいがするほどに濃密な時間を過ごし、帰りの電車の中でも上気した頭でぼーっとしているうちに、気がついたら家に居た。

電車で移動したのは、おれという人間のひとがただったかもしらん。