2010-10-27

水滴の面白さ

かなり以前に、ドラマーの外山明さんが映画美学校で特別講義をされたときの話。

曰く、

「忙しい忙しいと毎日を送っていると、面白いものを見過ごしてしまう」

もちろん、それはよくわかるのだけれど、外山さんが「面白い」と思うもの、というのは、たとえば風呂に浸かっているときに、蛇口から湯船に水滴が垂れるときの形、なのだそうだ。

「あの、水滴が垂れるときの形、あれはたまんないよねー」

そういうことを、ものすごく楽しそうにおっしゃっていた。


ちょっと、それは極端な例かもしれないけれど、この何年かそういう心のゆとり、みたいのを持ってなかった。


というわけで、ゆるやかにモードをかえることにする。 

2010-10-25

首藤幹夫幻燈写真上映会 『暗箱の中の風景』 2days 無事終了

下北沢 LA CAMERA にお越しいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。


過去に上演した劇団唐組に関する作品をのぞき、今回初めて一部に曲をつける、という作業をやらせていただいた。

ほんの束の間にでも、予め制作しておいた曲がつくと、全体に影響が及ぶ。

それはやる前から判っていたことであり、リスクを伴なうかもしれないことも十分覚悟した上で、敢えて試してみたかった。


終わってみて、結果としてはどうだったかと振り返ってみると、もちろん良い面はあったのだが、問題点もそれなりに(というのはあくまで僕のことに関してだけだけど)あった、というのが正直なところであった。

これは、僕にとっていつかは踏まえておかなければいけなかったこと。

問題点がわかったら、あとはそれを乗り越えることを考えて実践すれば良いので、いまはちょっと辛くても先は明るい。


シューヘイという人間は、いったいどんなことをやれるのだろうか。

実際に問題を一個ずつ乗り越えていかないと、自分でもそれがよくわからん。

とにかく、「次」をきちんと目指そう、と思う。


まさに、「遠くに見えたあのあかりが、夜見瀬だ」(首藤さんによる、ほんとにいい詩!)



それにしても、LA CAMERA で上演させていただくのはとても、楽しいことであるよ。

ライブというものは、終わると「さらっと」過ぎて行ってしまうことが多いものだけれど、ここでは自分へのフィードバックがきっちりと返ってくるんだな。

それは、終演後の楽しい打ち上げのことだけではなく。

「ちゃんと観てくれている人」に観ていただける、ということは、ほんとうに幸せなこと。


これからも、頑張りますよ。

よし

いま、10/25(月) の 0:55。つまりは日曜日の深夜ってこと。

この時間、下北沢の出来立ての漫喫でこれを書いている。

下北沢 LA CAMERA での首藤幹夫幻燈写真上映会 2days は無事に終わり、打ち上げ終わって終電逃した、ってパターン。

明日の朝(というかいまから数時間後)には飯を食べるための仕事が始まる。

始発が出るまでのこの、隙間のような数時間が、もしかしたらぼくの一番大事なひとときなのかもしれないな。


昨日、今日は、「地に足が着いた」ことをやった。

手ごたえがあったんだな、珍しいことだけれど。


これほどの充足感が得られるなどとは夢のよう。

また、やらかしますぜ。

2010-10-19

そこらに転がっている種

ここでいう「種」とは、例えば出会いの機会、創作意欲のきっかけとなるもの、自分が成長するための肥やし、なんでも当てはまるのだけれど、つまりはそうしたものたちのこと。



昨晩は、東京造形大学に赴いて 11 月の「写し絵」の打ち合わせに参加してきた。

Hachioji 影絵プロジェクトの面々は、いまの時期いろいろ忙しくて大変だと思うのだけれど、けっこう制作を進めていて嬉しい驚き。

かんたんなプロットを見せてもらい、ぼくが担当する音楽のプランはあらかた思い浮かんだのであった。

たぶん、ぼくのなかのひとつの側面を掘り下げることができる、いい機会になるとおもう。

11/27 に江東区の中川船番所で幻燈上映会やります。



打ち合わせ後、首藤さんと相原駅前の立ち飲み屋で今週末の打ち合わせなどを、樽ハイなどすすりながら。

首藤さんのタバコが切れ、携帯灰皿の中からシケモクを取り出そうとしているのを見かねて、カウンターでひとり酒をすすっていた見知らぬお客さんが 2 本、提供してくだった。

値上がりして貴重なタバコを 2 本も!(苦笑)

世の中、こうした「ちょっとした」善意で成り立っている、とぼくは再確認したなぁ。 そんなに大げさな話じゃないのかもしれないけれど。

ニコチンが廻り、脳みその巡りが滑らかになったおかげで、打ち合わせは順調にすすんだ。

ありがとう、見知らぬ方よ。

ちなみに僕は「なんとなく禁煙中」なので立ち飲み屋では一本も喫まなかったけどね。



今月末、坂本宰の影@Plan-B 公演があるのだけれど、今朝、影の本体からメールが来てて、当日スタッフとしてお手伝いをさせていただくことになった。

ぼくのガタイをかんがみて声をかけてくれたんだと思うんだけど、ちょっとした力仕事のお手伝い(なので共演、じゃないです)。 

それで、何通かやりとりした坂本くんとのメールのやりとりの中で、かれが今年の春頃に言っていた「今年のテーマは『出会い頭』」という言葉のとおり、素敵な面々との共演である感じがひしひしと伝わってきて、そういうところからこちらも刺激を受けるのであった。



日常の、なんでもないようなところに、こうした種たちはたくさん転がっているのだな。

2010-10-17

姉とおとうと

昨晩、劇団唐組秋公演『姉とおとうと』を観劇してきた。

この芝居、上演時間がわずか 30 分程度の作品。

しかしながら、その短い時間のなかにこれでもか、というくらい、唐十郎さんの芝居のエッセンスが凝縮されていたように思う。


唐十郎さんのエッセンス、というのが、どうも僕の能力ではうまく表現しようがないのだけれど、ひとついえるのは役者に与えているセリフの面白さ。

幕が開いた瞬間から、唐さんによる言葉の魔術がたたみかけるように役者たちから発せられる。

30分間、ずっとそれが続く。

ものすごいテンションの高さのまま、芝居が進行していく。


あれだけマシンガンのような「言葉」を浴びせられていると、たった 30分の芝居を観ているだけなのだがたいへんに体力を要する。

目の前には生きている「言葉」があり、ぼくら観客は、舞台上で繰り広げられる世界を全力で受け入れざるをえない状況に追い込まれていく。もちろん、自然な流れとして。

「言葉」が生きている以上、それを「耳で聴いて」「頭で理解」しようとしては、遅れをとることになる。

芝居にのめりこむうちに、心が、気がつくと全開にさせられているのだ。

昨夜、あっという間にそれが起こった。


言葉、とは、ただ上手に伝えれば良い、というものではない。

いやいや、伝えるのは、言葉ではないのだ。

ニュースアナウンサーじゃないんだから、言葉を伝えてどうする、って話か。


いつものことだが、「表現」ってものの本質をガチで突きつけられた思いで、帰途についた。

高揚は、一日経ったいまでも続く。

2010-10-11

「しあわせな泡」無事終了

二日間にわたって開催された『しあわせな泡』、無事終了しました。

ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。

関係者各位、お疲れ様でした!


この前にやった多摩センターでの幻燈のときもそうだったのだけれど、完パケさせた音源を使った上演+生演奏、というフォーメーション。

今回の演目のうち、第一部に限った作業の流れは、

[1] 東山佳永による、コンセプトイメージを綴った詩がまずありき

[2] 山口洋佑による、詩を踏まえてのコンセプトアートの制作(これが DM のイラストとなった)

[3] シューヘイによる、詩やイラストを踏まえコンテンポラリーダンスを前提とした楽曲の制作

[4] 歸山幸輔による、詩や楽曲のヴィジュアル化(Jelly Fish Screen インスタレーションの制作)

[5] 東山佳永による、身体表現(コンテンポラリーダンスの振り付け考案と体現)

という、わかりやすい 4者のコラボレーションであった。


本邦初公開となる Jelly Fish Screen を取り入れたパフォーマンスの構築、コンテンポラリーダンスとのコラボ、という、ぼくにとっての二つの「初体験」があったのだけれど、楽曲制作中はかなり、楽しかった。

要するに、ぼくは妄想で曲を作るのが楽しいんだな。

妄想は、言葉ではうまく他人に伝播しない。

言葉というのは、直接的なイメージを伝えるには便利だが、なんだかわからない曖昧模糊としたものを伝えるには不自由すぎる。

その点、言語とは対照的な音楽は圧倒的に有利である。


まず言葉ありき。

それを、どうやって抽象化しようか、あれこれ妄想を駆使したのであった。


二部は、逆に言葉を主としたパフォーマンス。

「歌」は、要するに音楽の言語化である。

いったん抽象化させた世界観を、今度はくっきりと輪郭を持たせる作業。

これも、やってみてかなり楽しかった。


いろいろ勉強になることも多かったし、いい経験させてもらいました。


さて、次は首藤さんの幻燈写真!!

調布、雑司ヶ谷