2015-11-30

トマト鍋

冷蔵庫の中に、いつ買ったのか忘れてしまった(たぶん二週間前)トマトがあった。

ジャガイモやにんにくも、出番を待たせたままたぶんこれも二週間ほどしまったまま。

それで、今夜はトマト鍋にすることにした。

そういえば、冷蔵庫にはアンチョビの残りもタッパーにしまったままだった。


というわけで、アンチョビの塩気を活かしたトマト鍋ができたのだが、これが思っていた以上に成功。


料理のレパートリーは、思わぬところで生まれる。

2015-11-29

町田

「町田市民文学館 ことばらんど」に用事があり、町田へ赴く。

駅を出て、目的地に向かうまでの道の雰囲気が、なんだかとても懐かしい。

仲見世商店街のこちゃこちゃとした店々や、ことばらんど周辺の飲み屋街。

ゆったりとした時間が流れる街を歩きながら、やはりどうしても故郷の会津を思い出してしまう。

2015-11-28

メズラーブ

昨夜、イスタンブールの店に発注していたセタールが届いた。

もう太鼓以外の楽器はやらないだろう、と思っていたのに、いざ手にしてみると、あのロトフィさんやアリザデさんらが弾いているメロディを、自分でも演奏できるチャンスが到来したことに、意外なほど昂揚する。


お店の人に、セタール用のメズラーブ(付け爪)がないか訊いたら、売り物が切れているので、お店の人の所有物を一個プレゼントするよ、と言って同梱してくれていた。ありがたい。

ところが、細い針金でできたそのメズラーブは、ものの10分も弾かないうちに切れてしまったのだった。


それで、朝、開店を待ってパルコ内の山野楽器に行き、ギター用の人差し指ピックを選んで買ってきた。

もちろん、セタールも一緒に持って行って、実際に指に付けて弾かせてもらったので、何種類もの中からこれぞ、というものを選んだ。

鉄製のそれは、ラスト(ダウンストローク)にもチャップ(アップストローク)にもほどよいヒット感があり、なかなか使いやすい。

しかし、いかんせん鉄製なので、先端がボディをこすると、板面に傷がついてしまう。


夕方、ふたたび渋谷の楽器屋に出向き、プラスチック製で形状も異なる別のギター用ピックを買ってきた。これなら板面を傷付けることもなさそう。


弦楽器を楽しむ日々をまた過ごすことになり、とても嬉しい。

2015-11-27

家族

義母の葬儀のあと、遺品の整理などのために沖縄に残っていた嫁さんがやっと帰宅。

久しぶりに家族全員(二人の人間、二匹の猫)が揃う。

ありがたい。

2015-11-26

おでん

夜、久しぶりにおでんを作る。

しかし調理している最中、この料理をつくるのはちょっと時期尚早だったことに気づく。

鼻づまりがまだ完全ではなく、味がわからないので出汁の塩加減に迷う。

おでんは、じつは繊細な料理なのである。

2015-11-25

そろそろ冬の雨

朝から冷たい雨が降るなか、久しぶりに仕事に出る。

まだ本調子ではないが、家で寝ているだけだとむしろ別のところが悪くなってしまう。


鼻づまりがそろそろ取れてきて、この世に漂う匂いの海に戻ってきた。

夜、外にでると、冷たく湿ったアスファルトや排気ガスの匂いが、そろそろ冬がやってきたことを告げていた。


嫁さんはまだ沖縄から帰ってこない。

2015-11-24

ビデオ

熱が下がり、起き上がれるようになったので、録画しておいた映画やドキュメンタリーをひたすら見る。

ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス 50年の挑戦
メディアはかくあるべし、などというつもりはないが、少なくともロバート・シルヴァースという純然たる知の追求者がイニシアティブをとるNYRBという雑誌は、相対的な真実などという曖昧な事物などではない、いわば「絶対的ドメスティックな真実」とでも呼べるような情報を発信している、数少ない良心的な媒体であることに間違いはない。そこに記載されている記事は、掲載される前に徹底的に議論され、吟味される。しかし記事が世に出た後でもその文面には議論の余地が生まれ、伝説となるほどの紙面上の議論がいくつも生まれる。大衆が安易に欲しがりがちな「たった一つの解答」などというものは、この多元的な世界にはあるはずもなく、しかし物事の本質を見抜くその知力は、これまでにいくつかの重要な「大いなる欺瞞」を暴いてきた。売れる雑誌なんて作るつもりはなかった、というシルヴァースの信念はいまでも鋼でできた杭のようにしっかりと地に打ち込まれている。「雑誌では世の中は変わらない。しかし思索という雰囲気は作ることができる」という言葉が沁みる。

「ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。~「月蝕歌劇団」30年の挑戦~」
主催者がいう「暗黒の宝塚」というキャッチコピーどおりの活動をしている月蝕歌劇団。その高取英氏は、当時は天井桟敷よりも状況劇場が好きだった、という。しかし自身は寺山の根城に居候し、やがて寺山の作品を上演する劇団を持つことになる。そこは別にアナロジカルに考えるところではないかもしれないが、どうしても寺山作品が苦手な俺にとってはなんだか示唆的な話だ。

「贖罪の街」
フォレスト・ウィテカーはほんとに上手い役者さんだと思う。この人とジェイク・ギレンホールの「困った時の八の字眉」は世界遺産に登録した方がいい。

「遠い空の向こうに」
そのギレンホールの「困った八の字眉」を堪能したくて、もう何十回目だかの鑑賞。しかし何度見ても素晴らしい。全てがよく出来た映画。

「誰よりも狙われた男」
フィリップ・シーモア・ホフマンの、鼻で息する高血圧そうなデブっぷりが凄い。「情報局の攻防もの」としては凡庸なストーリー。

2015-11-23

麺類

干しタラのスープがどうしても食べたくて、早朝車を飛ばして大久保の「明洞のり巻き」へ。

帰宅して薬を飲んでしばし気を失い、韓国広場で買ってきた韓国ラーメンを食べてまた薬を投入。

今日も1日、少し過剰に薬を投入したおかげで、二日ほど高かった熱はずいぶんと下がった。

夜、小腹が空いたのでまた喜多方ラーメンを食べてしまった。もちろん、食後には薬も忘れずに。

2015-11-22

風邪

朝一で近くの薬局に行き、総合感冒薬を買ってきた。

会津から送られてきた喜多方ラーメンや、スーパーで買ってきたミカン、サラダなどを食べては、オーバードーズ気味に薬を投入。

目が覚めては何かを食べ、薬を飲む、の繰り返しで1日寝て過ごす。

2015-11-21

帰京

昨夜寝る時にエアコンのスイッチを切り忘れてしまい、喉に猛烈な痛みを感じて目がさめる。

それでもあの味が忘れられずに再び牧志の定食屋に行き、喉の痛みも流し込むかのごとく、早朝沖縄そばを食べる。

帰りの飛行機に乗り込むと、今度は機内の乾燥した空気に追い打ちをかけられ、東京に着くころには完全に風邪の初期症状に陥っていた。

留守の間、猫たちの世話をお願いしていた杉本さんの家にお土産を届け、そのまま外語大の学祭を観に行ったが、寒気がひどく、すぐに帰宅。

風呂に入りたかったし洗濯もしたかったが結局なにもできず、葛根湯を飲んで布団にくるまり、気を失う。

2015-11-20

早朝の沖縄そば

夜遅くまで親類らと泡盛を飲み過ぎたのだが、習慣のせいで早朝につい目が覚めてしまった。

酔いを醒まそうと、ふらふらの状態でまだ真っ暗な街に出かけ、3km 近く歩いて牧志までやってきた。

24時間営業の沖縄ローカルな定食屋に入り、沖縄そばとミニカレーを注文する。

だんだんと日が照らし始める街並みを眺めながら食べる熱々の沖縄そばは、ぐだぐだの身体にとてもよく沁みた。

2015-11-19

沖縄

沖縄の義母が急逝したとの報せを受けて、急遽沖縄へ。

昼の羽田発の便に飛び乗り、夕方には那覇にある嫁さんの実家の近くまで到着したのだが、すぐに家に上がることができず、近くの A&W に寄って軽く腹ごしらえすることにした。

思えば、三年前に義父が亡くなった時も同じようにここでハンバーガーを頬張って時間をかせいでいた。

東京よりも1時間遅くに日が落ちたころ、嫁さん宅の玄関をくぐった。

2015-11-18

三絃

先日、ババク先生がセタールの演奏方法について説明しているのを横で見ていて、なんだか俺もこれはやらないといけないのではないか、と思えてきて、結局いつものイスタンブールの店に発注してしまった。

モノが届くのにまだしばらくかかりそうだが、それまで Alizadeh先生が Mahoor Institute と作った電子書籍の教則本を眺めながら脳内トレーニングをしておく。

2015-11-17

八王子

久しぶりに、東京造形大へ。

12月に予定している影絵公演の打ち合わせを、学生や先生がたと。

この数年の間、泉鏡花の芝居にたずさわってきたおかげで、セリフをどうやって体現していくかが感覚的につかめるようになった。

その成果が、これまで言葉を使ってこなかった幻燈にどう活かせるか、楽しみでもあるし、怖くもある。

2015-11-16

バスマティ米、ちょっと失敗の巻

鍋にくっつかないのをいいことに、適当に作ったらべちゃべちゃの状態に炊きあがってしまった。

やっぱり、料理は愛情が大事なのであった。

2015-11-15

綱島でペルシア音楽

昼過ぎ、綱島のナマックカフェへ。

ババク氏とのペルシア音楽のワークショップを開くのもこれで三度目。

今回は参加人数が少なかったが、それを逆手にとってもともと少ない本数しかない楽器を参加者にわたし、実際にセタールを演奏するグループレッスンが実現できてしまった。

いざやってみると、ババク氏の手取り足取りの仕方はすばらしく懇切丁寧。俺も習おうかな。


2015-11-14

横須賀から高円寺、そしてまた横浜へ

朝から車で移動。

まずは横須賀へ。

フレームドラム仲間の小島直子さんが企画してくれたとある発表会に参加するため、横須賀中央協会へ。

とても心地よい自然エコーが感じられるホールで、ピアノ、オルガン、金管、木管、擦弦などいろんな楽器の演奏を楽しむ。

トリで演奏させてもらったわれわれのフレームドラムチームは、念願の人前での演奏をやっと叶えることができたのだった。小島さんには本当に感謝。


雨がどばどばと降る高速道路を飛ばし、高円寺ボルボルへ。

北川くん、武田歩さんらによるペルシア音楽のライブを観に行く。

本ちゃん終了後、ちょっとだけ北川くんとセッションをさせてもらう。知っている曲を北川くんがチョイスしてくれたことと、今日はアルコールを一切飲んでいないことが幸いして、この日の演奏はまぁまぁよかったのではないか。

終電の時間が近い、というのに、ババク、シア、歩さんらととつぜん大セッション大会が始まる。ああ、これほんとに楽しいし勉強になる。


完全に終電を逃しているババク氏を戸塚区の自宅まで送り届けるため、さっき高円寺に向かうときに通った高速道路をふたたび横浜方面へ。

真夜中、ナボット入りの紅茶をご馳走になり、氏が所有する CD をあれこれ物色させてもらう。

日本からは入手不可能と思われるものを含む 10枚の CD を借りる。


帰宅したら、もはや早朝的な時間であった。

風呂に入り、布団で倒れこみ、気を失う。

2015-11-13

ペルシア音楽と鍋

夜、笹塚のチェシュメへ。

イランから一時帰国している北川修一さんを囲み、美味しい鍋料理を食べながらイランのあれやこれやのお話を伺う。

終わりの方で北川さんのシューランギーズ、セタールとセッション。

とてもとても楽しかったのだが、自分の演奏がなんだかぼやけてしまい、反省。やっぱり、お酒飲まなきゃよかった。

2015-11-12

仙川にてジャワシャワー

自宅からチャリで20分で行ける「せんがわ劇場」にて、中村伸(のびる)さん企画の「ジャワの夜遊びのココロだ2」を観る。

ガムラン、ジャワ版の詩吟、動物モノの人形劇(ワヤン・カンチル)、踊り、そして影絵。

静かな音の中に躍動を感じ、大きな影の動きの中に世の儚さが垣間見える。

ジャワの芸能の全てを満喫した、とは言わないが、その奥深さ、豊かさを感じるには十分な1日だった。

2015-11-11

長粒米

バスマティ米をアマゾンから購入したのでさっそく調理。

鍋で茹でるだけの超簡単な調理法であっという間にできてしまった。

茹でている間、鍋の蓋から吹き出す湯気の香りに思わず郷愁を感じてしまう。なぜこれほどまで懐かしさを感じるのだろう。

イナバのタイカレー缶で食べたが、日本米のモチモチした食感よりもインディカ米特有のぱらりとした感触の方が、クリーミーでシャバいタイカレーとよく合う。

幸福を味わった夕餉。

2015-11-10

雨の日の弁当

しとしとと雨降る朝、外に出てみると、どこからともなくお弁当の香りが漂ってくる。

こんな湿気った日の、ご飯と海苔の香り。

懐かしい記憶がたくさんこみ上げてきた。

2015-11-09

فسنجان

夜、嫁さんと高円寺 BolBol へ。

今日はザクロとクルミペーストがベースのソースで鶏肉を煮込んだ料理、フェセンジャンを食す。

甘酸っぱいザクロにクリーミーなクルミのペーストが混ざり、なんとも言えない優しい味。

イランの料理を食べるとき、まるで水や空気のようにすっと身体に入ってくるような感覚をおぼえる。

2015-11-08

重雨

冷たい雨が降り続く。

寒い空から落ちる雨は密度が締まり、重みが増す。

肌にあたる雨粒はビー玉のよう。

2015-11-07

sofa

猫たち(特にふわ吉)によって壊滅的にボロボロにされてしまったソファを買い換えた。

新しいソファは先代よりもひとまわり小さいので部屋が少し広くなった。

しかしなにより、硬いアルダー製のシャーシがむき出しになっており、猫たちに爪とぎをやられそうな余地がほとんどない。

早速、届いたばかりのソファでくつろぎながら録りためた映画を見て過ごす。

2015-11-06

アリアクバリ・シェイダ

シアに教えてもらったアリアクバリ・シェイダ( علیاکبر شیدا )が作曲した曲の数々を聴いて過ごす。

そういえば、いままでに聞いてきた様々なひとのアルバムの中で気になった曲のいくつかはシェイダの作品なのであった。

オスタード・ルーホッラー・ハーレギー( روح‌الله خالقی )の曲のような普遍的ポップス性ももちろん備えているが、シェイダの方がもっと土着的というか民謡性が強い。

いろいろ調べていくうちに、シェイダはスーフィズム一派だということが判り、とたんに深い愛情が湧いた。

2015-11-05

郎郎郎

夜、郎郎郎へ。

麺は一番少ない「プチ」、そこに野菜と生姜の「増し」トッピングで夕餉。

生姜のおかげで体の芯からポカポカ。

2015-11-04

輻輳

この数ヶ月、まるで心に詰まった血栓のような、胸の奥底で時折悩んでいたことが、ほんの少しだけ前進した。

そんな、心の血栓のようなものがまだあと二つ三つあるが、それらもいつかは溶解して流れてくれるのだろうか。

2015-11-03

帰京

早朝、目を覚まし、ひとりでビーチに出て砂浜の上を散歩。

昨日の酒がまだ残っていて、身体がふらふらと安定しない。

うっすらと桃色がかった明るい色に染まり始めた空と、遠くから白い波を連れてくる海を眺める。


夜、帰京。

心配だった猫たちは、あいかわらず元気。

2015-11-02

沖縄

「深夜」がそろそろ「早朝」に移る頃、嫁さんと車で羽田空港へ。

始発の飛行機に乗って1年ぶりに沖縄へ向かう。

碧い海が広がるビーチ沿いに建つリゾートホテルで、とてもとても美しい姪っ子の結婚式に参列したあと、沖縄の義兄さんと楽しい楽しい酒飲みタイム。

飲んで笑って、あっという間に楽しい時間が過ぎる。

2015-11-01

ふたたび代々木公園

ぽかぽか陽気のなか、笹塚から歩いて代々木公園へ。

ルーミーのリハを見学しつつ、ババクから彼が印刷してくれたチラシを受け取る。

暖かい日差しの中、心が落ち着く音楽と過ごす。