2010-12-31

良いお年を

なんだかんだいっても 2010年という一括りは今日で終わりだぴょん。

みなさん良いお年を。

2010-12-27

そんなこともあるのか、、、

前回は、別件で制作した楽曲が「たまたま」雰囲気に合致しそうだから、ということで、ライブのオープニングS.E.としてタナボタ的に採用してもらったのだが、今回は最初から制作を依頼していただけた。。

1曲目に演奏される予定の楽曲を予め伺っていたので、それに繋がるように 2つのパターンを制作。

1つはストリングスを使った壮大で冷たい感じのもの、もう1つは「静と動」をピアノとサイン波だけで構築した静寂な感じのもの。

2days のうち初日公演の方で使っていただけるとのこと。

そして、例の特殊3Dヴィジュアルの特大版もお披露目になるらしいというので、納めた 2つのうちどちらが採用になるのかも含めて本番当日を楽しみにしていた矢先、一通のメールが。。

ボーカル担当のR氏が病禍に倒れ、2days ともに中止となったとのこと。

なんともはや、、


かねてより my favorite な人たちと(ほんのちょっとした)共同作業ができる悦びに打ち震えていたのでまぁ(とても)残念、ではあるのだけれど、それよりもなによりも当人の体調の方が心配である。

病名としてはちょっと珍しい類のものらしいけれど、そんなものはぶっ飛ばして、また素晴らしい音楽を僕達のもとに届けて欲しい、と心より祈る次第。

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2010-12-26

合気道

自宅の近くにある道場に、嫁さんは去年から通い始めていた。

一度だけ体験的に、嫁さんが通う道場に行ってみたことがあったのだけれど、毎週決まった稽古の時間に予定を合わせることができずに、そのまま一年以上合気道のことは忘れていた。

で今年になり、やっぱり「継続的になにか運動しなくてはいかんな」となり、時間帯的に比較的都合がよい、同じ連盟の別の道場に通うことにした。

同じ連盟とはいえ、道場が違うと当然師範も違う。

有段者になってくると、市内数カ所の道場を渡り歩く(つまり様々な師範について習う)人も多いのだが、まだ初心者のうちはひとりの師範についていなさい、と教えられて数ヶ月それを守っていた。

ところで、嫁さんが習っている師範は、土曜日の昼間に「子供の高学年クラス」というのを受け持っており、まだ初心者の嫁さんは子供たちに混じってそこで一汗かき、そのまま同じ師範が教えている夜の「大人クラス」に連チャンで通う。

話をきくと昼間の高学年クラスの方には、他にも初心者の大人が居り、正式な稽古じゃないから気軽に習える、という。

もともと去年、嫁さんが習っている師範に一度だけ体験稽古を受けた際に「あなたぜひ習いにきなさい」と誘われて合気道を始めたということもあり、ぼくの師範に相談したら昼間の方ならいいよ、と許可をもらえたので、今月になってから二度ほど通ってみた。


師範が違う、ということは、稽古のメニューが微妙に、違う。

具体的には、技のコンビネーションの組み方が違うのだが、普段慣れている技の掛け方がちょっと変わっただけで、初心者のぼくには相当難しく感じてしまう。

しかしながら、よくよく考えてみると教わっている技の基本の動きは同じだ。

この僕の戸惑いは、よくいう「森と木の関係」のアナロジーである。

相手の正面打ち、または突きを手刀で受けたあと、右と左どっち側にどう払うのか、などというのは合気全体からすれば些細な違いであり、それはつまり「木」である。

最終的に相手をどのように投げ、関節をどう極めるのか、という「道筋」=「森」はまぁ、ほぼ結果的に同じなのである。


なんでもそうだと思うが、初心者にとっては「木」が大事な時が多い。

やり始めのうちは、できるだけ「木」というものを正しく理解すること。

やがて、いろんな木の存在がわかり、にわかに全体像を悟ったときに「森」というものがやっと理解できる、というのが「何かを体得する」ときの常套手段だろう。


合気道を習い始めてこれが面白くなり、色々調べてみた。

合気道は「武道の禅」と呼ばれるそうだ。

おそらく、『「動き」と「知覚・認識」の相互リンク』があるからこそなのかもしれない。

絶対的なものと相対的なものを「理解する」という工程、あるいは「理解しよう」とする意識の持ち方は、音楽をする上でもけっこう当てはまるように思う。


まだまだ奥が深そうで、一朝一夕に「理解した」つもりにもなれないけれど、とにかくやってて面白い。

2010-12-16

総括 Part2/2

思えばここまでの半年間、健康体で過ごせたのはおそらくほんの数日であったが、以後、徐々に復活し始めた。


文月。

自宅から近い野川公園で、ご近所付き合いでもある徳久ウィリアムくん主催のバーベキュー。
以前からお名前は存じ上げていた山田民族さんとここで出会う。
色々話をしてて、準備を進めていた9月のイベントに出てもらえないかとその場で交渉したところ快諾してもらえた。
このとき参加されていたほかの方々ともお見知りおきいただけて、素敵な出会いに感謝。

埼玉県の杉戸町で、東京造形大影絵プロジェクトによる写し絵初公演に参加が叶う。ほんとに実現しちゃった。
この時はまだストーリーがないプリミティブなプログラムだったが、初めての幻燈をこの目で見て完全にハマったな。。
夏の野外で幻燈。すごくいい。
ここでの演奏が気に入っていただくことができて、夏の多摩センターでの上映会でも音楽を担当させてもらえることに。


葉月。

楽曲制作の要件がどばどばどばと一気に発生。
自分企画のライブも9月に控え、音楽作ったりスタジオに練習しに行ったりで久しぶりに忙しかった。
忙しい時というのは、余計なことをほとんど考える余地がなくて作業に無駄が生じない。

そんなさなかに首藤さんの幻燈写真上映会@下北沢「東洋百貨店」。
初めての場所で、しかも友達の高遠瑛さん主催というものあって、いつにも増して勢いがついてたように思う。
アドホックな状況ではあったが、脳みその底辺で漂っている課題と向き合いながら演奏。
はたして、何をか得ずや?

4月に入会して一度だけ稽古に行ったものの、尻の手術とかなんとかでずーっとさぼってた合気道を再開。


長月。

2年ぶりくらいで、自主企画ライブ@阿佐ヶ谷「にぎやかな風」を開催。
出演してくれたみなさん、ほんとにヨカッタ。
終わって挨拶で締めようとしてついボロ泣きするというサプライズを自分で演出してしまったが、とにかく良いライブだった。
今年は自主企画はこれっきりになってしまったが、もうちょいペース上げないとね。

そしてついに、記念すべき Hachioji影絵プロジェクトの正式公演に参加。
ストーリー仕立てのれっきとした作品を上演することができた。
この時に作った楽曲はこちら

身体が少しずつ動くようになり、合気道が楽しくなってきた。


神無月。

昨年知り合った阿佐ヶ谷「ギャラリー白線」の歸山幸輔くんにお声がけいただき、彼が考案した「Jellyfish Screen」を使ったダンスパフォーマンスイベント 2days 開催。
ダンサーの東山佳永さん、デザイン/ギター&歌の山口洋祐くんら、初顔合わせの面々と。
今回は、東山さんが作った詩に曲を載せるという作業などもあり、制作面で勉強になることが多かった。
そもそも、ダンサーとの共演というのが初体験。
「音楽」と「踊り」、というのは、人類史上もっともプリミティブな「芸」だと思う。
踊り手が踊りやすいように音楽を作る、というアプローチで取り掛かってしまうと、よくある「なんちゃってよさこい」になってしまう。それだけは避けたい。
歸山くんによるヴィジュアル、東山さんの身体表現、その二つにどうやって向き合うかというあたりに最大限の神経を使った。
最後にチームワーク的なところで僕はちょっと大人げないことをやってしまった。
そこに関してだけ、もうちょっとやり方があったかもしれないなと猛省。
まだまだ、俺という人間は未熟である。

その二週間後、こんどは首藤さんの幻燈写真 2days@下北沢 La Camera。
今回の公演をやってみて深く理解できたことがあった。
禅の段階を表わす「十牛図」で言えば「得牛」の段階にたどり着いたかな、と思う。


霜月。

白線の歸山くんの計らいで、白線公演の際に制作した楽曲が某ヴィジュアル系バンドのライブSEで採用していただけることになった。
作ったものが誰かの役にたち、さらにはそれが従前好きなバンドだったというのが良かった。

影絵プロジェクトの第二回目公演。
この公演のために、実家で眠っていた三味線を借りてきた。
Youtube で端唄(はうた)や民謡のビデオを漁り、それらをひたすら耳コピーして三味線の猛特訓。
たまたま自宅の近くに和楽器店があるのだが、三味線の基本的なことを教えてもらおうと暖簾をくぐってみたらとても素敵な店主。これはたぶん、良い出会いになると思う。
本番を終え、ここまでの段階にこれたのにこのメンバーではこれが最期かーと寂しくなってたら、年明け早々に再演できそうな流れになってきたのであった。
いきなり来年の楽しみが増えたな。

中野富士見町「plan-B」の石原さんから、音響スタッフとして手伝ってもらえないだろうかと相談を受ける。
僕としてはすぐに快諾するところなのだが、互いに納得がいくまで話をしましょう、という石原さんのお気持ちが有り難い。
話し合いの結果、いずれにせよ僕としては二つ返事で引き受けることにした。


師走。

いま。
厄年の残り日数がまさにカウントダウン状態だが、まだまだ油断できず。



総括
判りやすいくらい、前半と後半の半年が陰と陽。
まぁ陰陽図のように、陰の中に陽はあったりその逆もまた然りだった訳ではあるけれど。

今年から始めた、「武道の禅」と言われる合気道が、思いのほか楽しい。
道場では、佳き先生にも巡り合った。
気負うことなく、これからも継続したい。

総じて、結局のところ「良い出会い」しかなかったな。

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2010-12-13

総括 Part1/2

ボジョレー・ヌーボーって年二回あるんだっけ、、と勘違いしたくらい、月日の経つのが早い。。
師走ももうすぐ半分のところまで来て、今年も残すところあと三週間を切った。。ほんと早い。
というわけで、2010年の総括その1。

睦月。
今年は大厄だからという訳で、毎年初詣に行っている柴又帝釈天と、自宅の近所にある深大寺の二箇所で厄除けをやってもらった。
本当は帝釈天だけでイイよ、と思っていたのだけれど、家の近くにあるお寺さんに面倒みてもらわなくてどうするの!という嫁さんの意見に押されてしまった。
まぁ、嫁さんの意見は正しい。
神社の場合は「産土(うぶすな)」というが、要するにいつでもお詣りに行ける「心の拠り所」は大事にしないといけない。
しかしながら、早速中旬ごろにウィルス性腸炎発症。下痢と熱で大変な思いをした。
二回も除けてもらったっていうのに。

新年会で、「今年は勢いのある年にする。何事も深く考えずに勢いだけで行動する」ということを発言したのだが、果たして。


如月。
このころは、以前のアカウントで Twitter がマイブーム。著作権、電子書籍、音楽で飯を食うこと、というようなテーマで呟いている人を片っ端からフォローしてたな。

誕生日に嫁さんに鍵盤ハーモニカを買ってもらった。嬉しくてぶーすかぶーすか吹きまくり。俺は小学生か。

以前から騙し騙しつきあっていたじろうくん、ついに第一回目の牙をむくが、このときは応急処置的な施術で済ませてしまった。それはそれでものっすごく痛かったんだけど。


弥生。
風邪の治りが悪くて、ずーっと調子悪い。おまけに花粉症のピーク時期が始まり、脳みその奥が痒くなり始める。

大阪の映像作家、谷口くんの作品がわが街調布市で上映されるというので行ってきた。
谷口くんとの付き合いは昨年の11月以来なんだけど、なんか良い感じである。


卯月。
春である。世間では新学期が始まるのである。
今年から東京造形大学で「影絵プロジェクト」の非常勤講師を始めるという首藤幹夫さんにくっついてって、授業風景見学させてもらいないなぁ、、などと目論んでいたら首藤さんが学生たちに幻燈写真を見せると云うので、音楽担当って肩書きでちゃっかりと潜入成功・・・。
学生たちと初顔合わせ、および、いわゆる「江戸写し絵」というものに初めて触れたのであった。とってもいいぞ。
写し絵やるときは音楽やらせてくださいね、と、中里先生や学生たちにも言うだけ言ってみた。

その首藤さんと、二回目の大阪上陸。今回は須藤かよちゃんも同行。真っ暗な箱舟の旅である。
「大阪造形センター」さん、江利川さんに、またしてもものっすごくお世話になった。
毎晩、かよちゃんに呆れられないかと心配するふりをしてけっきょく美味しいお酒を傍若無人にたくさんいただいた。
善き出会いもあって、めちゃくちゃに素晴らしい旅。


皐月。
三軒茶屋の「三軒茶屋中央劇場」で『美代子阿佐ヶ谷気分』を観る。もうこれで何度目かの鑑賞なのだけれど、映画館の雰囲気が最高。ここで観れてよかった。70年代の匂いをちょっとだけ、嗅いだ。

下北沢の La Camera に、天野天街さんのトークライブに一緒に出演する谷口マルタさんのライブを観に行く。
阿佐ヶ谷にある、ライブもできるお店に居るから今度なんかやりに来てね、とマルタさんに云っていただいたのがきっかけで、長いことお休みしてた僕のライブのことをちょっとずつ妄想し始めた。

中旬、ごめんねじろうくんが第二回目の猛威を奮い始めたため、ついに本格的に手術を受けた。
生まれて初めての切開手術体験がツーケとは。。とほほ。
手術はものの半時間で終わり、あとは自宅療養ね、と先生に云われたのだが、二週間まともな生活ができず。
大厄恐るべし。


水無月。
こーなったら身体の悪いとこ全部治しちゃれ、と一念発起、今度は歯医者で長年痛かった奥歯2本の治療。
うち1本は抜くことになり、またしても出血。これからまた出血することがあったら覚悟決めて俺の芸風にしようかと思うくらい、今年はよく出血する。

道端で、高校の頃からの友人に、10年ぶりくらいでばったり。ズボンズというバンドでベースを弾いてるムーストップくん。個人的には、これが今年一番嬉しかった「再会」だったな。他に再会した人なんて居ないけど。


Part 2/2 に続く。

2010-12-03

「青い部屋」を救え

http://www.aoiheya.sakura.ne.jp/infomationa.html

青い部屋には思い出がいくつかある。

2005年、青い部屋でライブの企画というものを、初めてやった。思えばこのときの経験がその後のぼくに与えた影響は計り知れない。

2006年だったか、岸野雄一監督作品「夜をまきもどせ」という短篇映画の撮影に呼ばれ、ロックアウトされた青い部屋で早朝から深夜まで撮影に参加した。 とあるムード歌謡バンドのバンマス役。
ボーカル役で参加していた田渕純くんとここで知り合い、その後「東京ムードアンサンブル」っていうバンド活動に繋がるんだ。

2007年には渚ようこさんの 2days に呼んでもらい、しゃかりきになってライブやらせてもらった。
飛び入りで戸川昌子先生がステージに立たれ、ふじきから借りたライターを客席に投げ捨てたシーンは忘れられない。。ってそこかよ

あと細かいライブをちょいちょいやらせていただいたり、印象に残るライブを観たり、どれもこれも大切な思い出なのだ。


その青い部屋が、危機に瀕している。

微力でも、些少でもなにか力になりたい。

2010-11-30

幻燈上映会「中川妖怪絵巻」終了 / 気配の意味

土曜日、中川船番所での『中川妖怪船番所』にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。



昼間の公演で、しかもいわゆる劇場的な施設でもない場所だと思っていて、油断していた。
暗転があまりに完璧すぎて、いままで演奏してきたどの場所よりも真っ暗になったので、正直、びびった。
今回は PC や電気類は一切なし(電池駆動によるアンプ内蔵ギターは使ったけど)、正真正銘の「生」で臨んだこともあり、手元すらまったく見えないほどの、闇。
フレットがない三味線は、暗闇での演奏にうってつけだったかもしれない。
暗黒の中で、三味線による呪節がババン、と鳴った瞬間のことはこの先ずっと忘れられないだろうな。


ところで、「写し絵」は、集団による完全なる身体表現である。
いま、「身体表現なのかそれ以外なのか」という事に囚われている。

ただ単に身体を動かしていれば身体表現かというと、どうやらそうではないようだ。
あるいは、観客の目に「演者の身体の動き」が見えていればよいというものでもないようでもある。

舞台に佇む演者の存在そのものに積極的な「気配」があるかどうか。
もっと端的に言えば、「表現」に積極性があるかどうか。

「写し絵」のように集団で一つの像を構築するという作業は、演者同士の呼吸/連帯が不可欠である。
そこで必然的に各自が積極性をもって係わることになる。
このことは、僕にとっていま一番大切なことだと考える。

積極的な気配がないと、おそらく「個」としても成立し得ない。
そんなことを、今更だけど学習した一日。

2010-11-24

雑記/幻燈ライブのお知らせ

小学生の頃、合奏コンクールってのがあって、僕は大太鼓をやってた。

小学5年の時はオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」という曲をやって、6年の時はイッポリトフ・イワノフの「コーカサスの風景 第4曲「酋長の行列」」という曲をやった。

この「酋長の行列」という曲、めちゃ格好いいんだよねこれが。いま聴いててもうんこちびりそうなくらい格好いい。

よっしゃ今日はうんこちびるかーと思うたびに(いやちびらないけど)何年もまえに買ったロイヤルフィル演奏の CD を聴いていたのだけれど、このアルバムの前半に入っている曲もなんか格好いいなぁ、と思いつつ、特に誰の曲なのかとか意識していなかった。

で、きのうの朝リッピングしといたデータを iPhone に入れてるときに改めてジャケットを眺めてたら、なんかコダーイとか書いてある・・・

んーどっかで聴いたことある名前だなぁ、、これってもしかして須藤かよちゃんが幼少の頃に習ってたというコダーイ・メソッドの人じゃないのか、と思い当たり、本人に訊いたらやっぱりそうだった。

かよちゃんからコダーイ・メソッドがどういうものなのかをさらっと聴いてたので、その頭で改めて聴くと面白さ倍増。すごく良い。なるほど。

僕的には、久しぶりにおっきな意味のある発見だった。


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今週末、東京都江東区にある「中川船番所資料館」というところで、Hachioji影絵プロジェクトとして幻燈上映会をやります。

題して、「中川妖怪絵巻」

2010 年11月27日(土)
13時~14時30分
江東区中川船番所資料館3階資料室
東京都江東区大島9-1-15
観覧料(大人200円、小・中学生50円)
詳しいお問い合わせは
中川船番所TEL 03-3636-9091 まで


昼間の上演なので、ゆっくり散歩がてらお越し下さいませ。

今回、ぼくはなんと三味線演奏します。

母が踊りをやっていた頃に使っていていまはオネンネしてたのを借りてきて、自主練しまくり。


フライヤ






















プロジェクトのひとり、李漢強君が作ってくれたポスター