2016-01-31

セマー

昼前、ザルブを携えて東中野の驢馬駱駝へ。

ルーミーの面々+ダフ隊による演奏をバックに、20数名の参加者がセマー(旋回舞踊)をする、という催し。

気がつけば2時間ものあいだ、休憩もなくぶっとおしでザルブを叩き続けていた。

さすがに疲れた。。


夕方、調布にもどり、駅まで嫁さんに迎えにきてもらってそのままバーミヤンへ。

ボトルキープしておいた黒霧島で晩酌し、帰宅するとそのまま夜中まで気を失ってしまった。

2016-01-30

さばみそ、フィルム缶

昼、嫁さんとアナログへ。

今日はサバ味噌でご飯二膳。

どんこのあら汁はこくのある味わいで美味なり。


食後に調布たづくりへ。

クリエイティブリユース展会場で、にっかつ撮影所で廃棄されたフィルム缶を使った大型怪獣などの作品を見る。

撮影所はいま規模を縮小する工事が始まるところで、大量のフィルム缶が廃棄されるのだとか。

2016-01-29

野菜と生姜増し

夜、ちょっと久しぶりに郎郎郎へ。

プチ味噌ラーメン野菜と生姜増し、で夕餉。

生姜効果で身体の芯からほかほか。

ほどよく腹いっぱいになったところで、家にもどってzarb稽古。

身体を冷やさない食事のおかげで、去年の今ころに比べると指さきや手首のウォーミングアップがずいぶんと楽になってきているようなきがする。

2016-01-28

チャナダールカレー

チラシを届けに、綱島のナマックカフェへ。

ついでにいつものチャナダールカレーで夕餉。

いつもよりちょっと辛めだよ、と伸さん。

ミントチャツネが今日はあいにくと切れていたようだが、ほどよくスパイシーなカレーをむさぼるように食す。ただただ美味。

食後につい、楽しい酒を飲みすぎた。

2016-01-27

嫁さんに頼んで買っきてもらった、興実水産の切り身で夕餉。

シャケのレモンオイル漬け、というものらしいが、これが至極さっぱりと味付け。

脂の乗ったぶりぶりのシャケが、レモンオイルによってほどよく引き締まっている。

油断しているとご飯が何杯でもいけてしまいそうなのだが、心を鬼にして二膳で我慢。

2016-01-26

Pashang Kamkar

とっくにイランの大学を卒業しているのになかなか日本に帰ってきてくれない(苦笑)岩崎和音くんとのメッセージのやりとりのなかで、ペルシア音楽スタンダード曲のひとつ Saghi Nameh の話をしていて、彼の師匠であるオスタード・パーシャング・カムカールが演奏する彼の曲を教えてもらう。

Saghi Nameh ساقی نامه を訳すと「酌人の手紙」とでもなろうか。ペルシア古典詩によくでてくる「酌人」とはぶどう酒をもたらす者を指すが、そもそもここでいうぶどう酒とは「悟りにみちびく智慧」のメタファーであることから、酌人といっても人ではなく悟りの道への媒体、ということかな。

その Saghi Nameh を聴きたくて、さっそく探して堪能した。

アルバム前半の中盤でこの曲がモチーフとして出てくるが、全体に万華鏡、曼荼羅を想起するようなミニマルさを表現していて、脳みそを掻き混ぜられるような気分になってくる。

ときおり出てくる Aman Aman などのクルド曲がとても印象に残る。



2016-01-25

5拍子

ルーミーのコンサートで演奏する 5/4 拍子の曲の稽古を延々と。

BPM=200くらいで、けっこう忙しい。

ペルシア音楽の場合、2 + 3 で割ることが多い 5 拍子。

いちにーいちにーさん、いちにーいちにーさん・・・

یک دو یک دو سه، یک دو یک دو سه

このリズムが体に染み込むまで繰り返し基本のパターンを稽古したあと、ネイとタールによるリフにどう絡むかを研究する。

テンポの速い曲は次になにをどうするか、などと頭で考えていてはいろいろ不都合が生じる。

身体からザルブ(音符)が勝手に滲み出てくるまで、ひたすら足掻く。

2016-01-24

原宿

朝、トンバクを携えて幡ヶ谷へ。

すっきりと晴れ渡った冬空のした、住宅街を歩いて代々木公園を抜け、原宿駅へ。

シア、ババック両氏と待ち合わせて近くのカラオケボックスに移動し、ルーミーのリハーサルをみっちりと。


終わって三人で駅前にある「マサラ・ハット」へ。

マトンカレー激辛とナンのセットで遅めの昼餉。

だいたい激辛を注文してもどの店もそれほどでもないことが多いが、ここのはマジ辛かった。超満足。

食後にチャイをすすりながら、80年代以降のハリウッド映画の話になる。

ふたりともけっこういろいろ観ていて、これはちょっと嬉しい驚き。


夕方には帰宅し、録画しておいた映画をみたあと、夜中まで気を失う。

2016-01-23

喫茶店で落語

夕方、御徒町へ。

昭和通りを渡り、多慶屋の裏手をしばし散策。

20年前に働いていた、当時この辺りにあったバイク便の事務所を目指す。

あの頃の、いろいろな記憶が抗いようもなく沸き起こってくるのにまかせて、じぐざぐと路地を彷徨う。


浅草まで歩き、「茶やあさくさ文七」へ。

中村伸さんこと、悠々亭うどんさんらが出演するアマチュア寄席を観る。

アマチュアとはいえ、幾度も高座にあがっている方揃いで、いずれの芸も堂々としたもの。

終始笑い尽くし、楽しい夜。


帰り、にこにこしながら秋葉原まで歩き、岩本町から都営線に乗って帰宅。

2016-01-22

よみうりランド

夜、嫁さんと車でよみうりランドへ。

ここの前を通る道路はいつもよく通るが、敷地内に入るのは調布市民になって20年めにして初。

目当てのシェーキーズも、上野で働いていた頃以来なので30年ぶりくらい。

30年前に来た時はあまり美味いと思わなかった記憶があるが、宅配ピザに比べて薄めな生地、チーズや具もそこそこ美味であった。

食後は、LEDの電飾で煌びやかな園内をしばし眺める。

2016-01-21

Arjang Seyfizadeh その2

Arjang Seyfizadeh 率いる「Vesal Ensemble」のアルバムを聴く。

ヘッドフォンで聴いていて「あれ?」と思ったのだが、スピーカーで聴いてみたら一曲目はボーカルが立体音像になっていた。

どうやらこのアルバムは、すでに鬼籍に入られている、詩人で歌い手でもあるオスタード・マソウド・バクティアリーが過去に録音した歌声に、後から伴奏を被せたものらしい。

よく聴くと歌声のトラックだけヒスノイズを除去した痕跡(独特のデジタル臭さ)があるが、アールジャンさんの鬼気迫るアレンジや絶妙なミックスが補って余りある。



2016-01-20

Arjang Seyfizadeh

Arjang Seyfizadeh が 2010 に発表したアルバム「Leaf Playing In The Wind」をじっくりと聴く。


2016-01-19

ぐうたら

夜、東八道路沿いにある「ぐうたら」へ。

本気醤油ラーメンを注文。

スープの色は濃いのだが、ほんのりと魚系の香りが漂う優しい味。

麺はつるつるしこしこ。

店員の元気の良さもあってとても良い雰囲気の店。

2016-01-18

朝起きて、窓の外の様子を見て思わず嘆息。

一足しかないスニーカーを履き、くるぶしの高さより積もっている、ほぼシャーベット状の雪を踏みつけながら、なんとかバス停へ。

ぎりぎりでバスには乗れたが、三鷹駅に着くと中央線のホームはロックアウトされ、構内に長蛇の列ができている。

やむなく駅周辺を徘徊し、空いていそうな喫茶店を見つけて暫し退避。

いまどき珍しく分煙になっていない店内には50年代のオールディーズが静かに流れ、注文したモーニングセットもコーヒーもとても美味。

小一時間ほど本を読んでやり過ごし、徐々に走り始めた電車とバスを乗り継いでなんとか仕事場の近くまでたどり着き、すぐに近所のホームセンターに入ってゴム長と靴下を買う。


夕方、調布駅で嫁さんと待ち合わせ、「かつ元」へ。

ロースカツ定食とカキフライで夕餉。

ロースカツは、ちゃんと火は通っているのだが、噛む必要がないくらいほろほろと柔らかい。

いままで食べてきたのはいったいなんだったろうと思うほど、衝撃的。

カキフライは、生涯初めてといっていいほど身が大きく、齧ると旨味のつまった汁がほとばしる。

えらく豪勢な食事になったが、朝から雪のせいでてんやわんやだった一日をなんとか無事に過ごせたご褒美ということで。


2016-01-17

代々木、綱島

朝早く、トンバクとセタールを携えて代々木公園へ。

今日は全員揃ってのルーミーのリハーサル。

昼前までの小一時間ほどは天気もよくてぽかぽかしていたが、やがて雲が出始めると途端に寒くなり、原宿駅近くのカラオケボックスに移動してリハの続き。


午後、ババック氏と二人で綱島に移動し、ナマック・カフェで「ペルシア古典音楽の集い」。

第四回目の今回から、セタールの弾き方を全員で練習する、という内容に変えた。

はたしてどうなるかと思っていたが、参加された方々はそれなりに楽しんでいただけたようで、まずは何より。

しかしながらこちら側にも課題というか、克服しなくてはいけないことがあるのもわかった。

人に何かを教える、というのは体力も知力もフル回転させないとやっていけない。

2016-01-16

新宿、馬喰町

昼過ぎ、新宿の「IRREGULAR RHYTHM ASYLUM」へ、三宅彩さんらによるジンのリリースパーティー「Perzine Blues vol.2 5人のおんなのジンリリースパーティー」を見にいく。

久しぶりに会う三宅さんとあれこれ話すうち、そういえばインターネットなんてない頃、自分が好きなもの(=そう呼びたい人たちからは「サブカル」とカテゴライズされていたもの)にコミットしたり、誰かと楽しみを分かち合うための媒体は、雑誌やジンくらいしかなかったね、という話になった。

いまこのご時世に、あえてジンを出版(?)するという手段に打って出ることの意義を、ものすごく考えさせられる。


新宿から馬喰町まで6.8kmを歩き、夜は ART+EAT で「新春猿八まつり《電気幻燈×語り あやかしの夜》」。

渡部八太夫師による素浄瑠璃で「耳なし芳一」や内田百間の「件(くだん)」を聞く。

師のトークで、その昔「桑都(そうと)」と呼ばれた八王子〜秋川一帯で養蚕によって富を得た旦那衆から庇護を受け、説教祭文、写し絵などが他の地域よりも後期まで大事に生き残ったという話が聞けたのはよかった。あのあたり一帯で絹産業が盛んだったという話は知っていたが、やはり「旦那衆」という存在は大きかったのだ。

素浄瑠璃、というのも初めて生で聴いた。

鍛え上げられた師の声も調子も、とても素晴らしい。

三味線で伴奏や合いの手を入れながら、節のある「語り」を演じるスタイルは、ペルシア音楽でいうところのサーズ・オ・アヴァーズに近いなぁなどと思いながら聞いていたが、ハードコアな三味線にやられ、途中でうとうとしてしまう。

たまたま会場にいらしていた、帰る方角がまったく同じな中村伸さんから、電車の中でいろいろ面白い話を聞く。


2016-01-15

アンヌ

アンヌ隊員こと、ひし美ゆり子さんがオーナーである「アジアンタイペイ」の閉店一日前、嫁さんと滑り込みで行ってみた。

もうここの美味しいタイ料理が食べられなくなるとあってかすごい数のお客さんで、初めて二階席に案内された。

いつものバジルライス、エビチリ、ヤムウンセンなどを注文。

贔屓目なしに、やっぱりこの料理は美味しい。

家から近くのところに良い店を見つけたと思っていたのだが、残念である。

そして、最後までアンヌ隊員を間近で見ることもできなかった。

それも残念。

2016-01-14

蛇口

朝一で、街の水道屋さんに電話。

すると一時間ちょっとでやってきてくれた。ありがたい。

台所の蛇口は昨年から調子が悪く、閉めてもとろとろと水が流れることがちょくちょく起こっていた。

結局、中栓から先を総取っ替えすることになったのでおもわぬ出費にはなってしまったが、水の出がよくなりシャワー機能もいままでより使い勝手が向上したので満足。


作業に来てくれた方が、部屋に据えてつけてあるキャットタワーをみて「やっぱりこれあった方がいいんですかね」と訊いてきたので、これから猫を飼う予定なんですか?とたずねると実は昨年の夏に子猫を拾ってきたんです、という。

しかし二階建ての一軒家に住んでるそうなので、それならキャットタワーは要らないんじゃないですかね、などと、しばし猫話に耽る。

我が家の猫たちはさほど警戒もせずに近寄ってきて、おじさん二人の猫談義を傍でずっと聞いていた。

2016-01-13

カレー鍋2016年版

冷蔵庫の在庫を一掃しようと、夜、カレー鍋。

今回はタイ産のココナッツミルクを足してみた。

半分残っていた山芋は輪切りにしていったんココナツ油でソテーして焼き目をつけてから鍋に投入。

総じてカロリー高めの鍋になってしまったが、かなり美味な仕上がり。


食器を洗っていると、流しの下のフローリングが異常に濡れている。

昨年から調子が悪くなっていた蛇口がついに崩壊し、大量に水漏れを起こした模様。

2016-01-12

オスタード・オモウミ

オスタード・ホッセイン・オモウミの新譜を聴く。

珍しくオスタードの歌声入り。

ほどよく枯れた、力の抜けた素晴らしい声に驚く。

ザルブ(トンバク)のオスタード・マジッド・ハーラジもなんだかはっちゃけてて素晴らしい。

やっぱりこの方のザルブは大好きだ。


♫ Earthly Exile - Hossein Omoumi. Listen @cdbaby: Click to listen at CDBaby

2016-01-11

熊王

昼過ぎ、国領の熊王で醤油チャーシュー麺。

にんにく入れますか?と訊かれたので「はい」と応え、二郎系のてんこ盛りを予想して待っていたが実際にはにんにくのすがたかたちは見えず。

しかしながら食べ進めていくと身の危険を感じるほどにんにくの味と香りを感じ始め、きっとこれは摩り下ろしたのがたんまりと入っているのだろうと思い至る。


夕方、会津の女性陣と一緒に旅行に行っていた嫁さんを調布駅まで車で迎えにいくと、ドアを開けるなり「臭っ」と一蹴。

2016-01-10

戸塚

昼、電車に乗って横浜は戸塚にあるババック氏の自宅へ。

お手製のイラン料理でもてなしていただきつつ、これからのペルシア古典音楽の活動についてあれこれと話す。

活動のこと、活動の土台となる音楽のこと。

いろいろ話しができてよかった。

気がかりだったことがいくつか解決した夜。

2016-01-09

初リハ

代々木公園で、シア、ババクの両氏とルーミーの初リハ。

それほど寒くもなく、乾いた空気のおかげでザルブが心地よく鳴ってくれた。

今回はバヤーテ・エスファハーンを中心に、ということで、全体に淡く渋い構成。

年明け最初のセッションが佳き幕開けとなった。

2016-01-08

アナログ

昨年、急遽沖縄に行くことになった際、家で留守番させた猫たちの世話を快く引き受けてくれた杉本文さんをお招きしてアナログへ。

刺身三点盛りも素晴らしかったが、かぼす鰤という、かぼすを餌にしているという鰤の煮付けが絶品。

煮汁を乗せて食べるガス炊きのご飯が美味すぎて、三膳も平らげてしまった。

女王蜂、というブランドの芋焼酎も軽めの味わいだったのをいいことに、ちょいと飲みすぎてしまった。

2016-01-07

武蔵家

夜、三鷹・東八道路沿いにある武蔵家に初めて行ってみた。

横浜家系特有のこってり味ではあるが、ここのは比較的軽めで最後まで飽きずに食べられた。

豆板醤を乗せて食べるご飯が美味い。

2016-01-06

30年

30年前、まだ高校生だったころの俺を撮影した写真をFacebookでみかけた。

撮影したのは、いまは仙台に住むふたつ年上の、同郷の先輩。

懐かしくなって写真の投稿にコメントを入れたら、先輩はもちろん俺を覚えていた。

先輩曰く、最後に会ったのは俺が高校を出てすぐの頃の、郷里の楽器屋だったそうだ。

その時、俺は店のギターを借りてなんと DEAD END を弾いていたんだとか。

この2、3日、急に DEAD END を聞きまくっていたのは、そういうことだったか。

2016-01-05

行き止まり

とあるサイトを見ていたら、2013年に DEAD END のトリビュートアルバムというのが出ていたことを知り、視聴してみたらとても良いので購入。

DEAD END 大好きな人たちがそれぞれ愛情たっぷりにあんな曲やこんな曲をカバーしている。

30年近く昔、楽器屋さんでバイトしていた頃によくコピーしていたときの思い出が蘇り、夜、久しぶりにエレクトリックギターを引っ張り出してきてあんな曲やこんな曲を一緒になって弾き倒す。

2016-01-04

ハンバーグ

夜、久しぶりに嫁さんにハンバーグを作ってもらう。

ハンバーグとカレーライスだけは、やはり家で食べる方がぜったいに美味しい。

ビッグボーイの大俵ハンバーグやびっくりドンキーのカレーハンバーグやCoCo壱番屋のメンチカレー5辛がときどき無性に食べたくなるが、それでもやっぱり家で作って家で食べる方が美味しい。

2016-01-03

バスマティ初め

昨日、ビリヤニ研究家の翔太郎くんからバスマティ米の炊き方についてあれこれとコツを教わったので、さっそく試してみる。

今回はビリヤニではなく、白く炊くだけなので翔太郎くんの手順からちょっと変えたが、教えてもらった「油を足す」という最大のポイントはきちんとおさえた。

やはり、これまで我が家で作るバスマティ米のできがいまひとつだった理由は「油を使っていなかった」からだったようで、もっとも完成度の高い仕上がりとなった。

これで献立を充実させることができる。

2016-01-02

八潮

調布飲み仲間の浦畠さん、坂下くん、それに嫁さんを車に乗せ、昼過ぎに調布を出発。

高速道路の渋滞に阻まれつつ、予定よりも一時間遅れて八潮の「カラチの空」へ。

野田市在住の佐々木翔太郎くんと現地で待ち合わせ、総勢5名でビリヤニやカレー、マトン料理、ナンやロティをこれでもかと注文する。

激ウマの料理に舌鼓を打ち、食後にチャイをすすり余韻に耽る。

夢のような2時間を過ごし、調布に戻る。

美味しいパキスタン料理を食べるためだけに半日を費すプチドライブであった。

2016-01-01

トゥバラーマ

義母方のご両親は、八重山の民謡「トゥバラーマ」の名手だった、という話だけは以前からきかされていたのだが、先日、嫁さんが義母の法事のために帰省した折、親類が持っていた演奏の模様を録音したカセットテープをお借りすることができ、ダビング業者に依頼してCDに焼いてもらったものが、年末の慌ただしい中に届いた。

年を無事に越すことができ、ようやく落ち着いた気分で聞いてみて、そのあまりのレベルの高さに衝撃を受けた。

沖縄三味線をつま弾きながら歌う祖父、三線とのユニゾンやときおりオブリガードやゴーストノートを、琉球琴で入れる祖母。

通事安京(とうじ・あんきょう)さんのようないわゆる「プロ」の方のCDは、生前の義父から勧められて聞いたことはあったが、そんなプロの演奏家とは違い「表にでてこない」市井の演奏家の音を、初めて聞いた。

こういった音源は、友人や親類などの近しい間柄に、録音の手間暇をかけることを厭わない協力者が居でもしないかぎり、たぶん存在しないだろう。

いま沖縄に存命している親類の中に祖父祖母から指南を受けた者はおらず、特に弟子を持つこともなかった祖父祖母の芸を、どんな形であれ「生で」聞くことはもう叶わない。


盆や正月になると石垣島からわざわざ本島の嫁さんの実家にまで出向き、夜な夜な義父や自分の娘(ようするに義母)らの前で演奏を聴かせてくれていた、という話にふれると、その演奏の凄さを聞いてしまったいまとなっては、沖縄の民謡がいかにひとびとの生活に根付いていたかを、つい羨望の混じった思いで想像してしまう。

4半世紀ほど前、秋元と本土の民謡を聴きながら、いまの日本人としての自分たちにとっての音楽のあり方というものをあれこれと研究していた頃、日本のいわゆる「民謡」が、もうとうに死んでしまったことを個人的に憂い、その想いが当時の音楽を作るモチベーションのひとつだったこともあった。

ペルシア音楽、というものを勉強するようになると、同じ「バラッド」でも、なぜ日本のではなくイランのものを自分は選択しているのだろう、という自問自答はしぜんと時折、沸き起こる。

もちろん、上に書いたようなことは理由ではないが、これからさらにペルシア音楽と過ごす機会が増えるであろうことを踏まえ、なんとなく、今年一年の探求テーマはそのあたりにあるような気がした。