2011-09-08

にんぎょう

過日、初めて「結城座」の公演を観た。

370年も続くという伝統のあやつり人形芝居。

観たのは「スタジオ古典公演」ということで、小金井の結城座スタジオ内で開催された「古典物のみ」の公演であったのだが、のっけから神経の細やかな人形の動きにかなり魅せられた。


結城座では、人形遣いが自ら台詞を語る。

ということは、人形を操り「第二の自分」に演技させながら、第二の自分の言葉を語る、ということだ。

これはおそらく、ものすごいこと。


そして先週、その結城座を辞めた結城一糸と「元」11代結城孫三郎だった田中純が旗揚げした「江戸糸あやつり人形座」の公演、「アルトー24時」を観た。


たて続けて結城一門の人形を観る機会に恵まれたのは、ほんの「たまたま」。


アルトーを演じていた人形は、これはもうまったくもって完全なほど「ひとがた」なのであった。

物体としては人形だが、存在としては人間。


そして、生身の役者である人間もまた完璧に「ひとがた」であった。

存在としては人間だが、舞台上にあるそれは、人の形をした何か。


めまいがするほどに濃密な時間を過ごし、帰りの電車の中でも上気した頭でぼーっとしているうちに、気がついたら家に居た。

電車で移動したのは、おれという人間のひとがただったかもしらん。

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