渡辺勝レコ発@西荻「アケタの店」
古澤良治郎さんや林栄一さん、船戸博史さんらを従えてのバンド形態もあったけど、まずライブの一曲目は一人ピアノ弾き語りで「夜は靜か、通り靜か」であった。
勝さんがステージでこの歌を歌っているのは何度も拝見しているけど、なんていうか、、
あのシチュエーションであの歌、というのが、もの凄く良かった。
思わず泣けてしょうがなかった。
勝さんが歌う「夜」は、僕はとっても好きだ。
感傷的にならず、ただひたすら「夜」という時間をせつせつと歌にしたためた感じが、良い。
酒も夜も音楽も大好きでしょうがない勝さんと、とっても良い時間を過ごさせてもらった。
レコ発、おめでとうございました、勝さん。
2009-06-25
2009-06-23
2009-06-17
ひっぱっちゃって
この一ヶ月ほど、ずっと左腕にしびれがあり、今日ついに整形外科で診察してもらってきた。
レントゲンでみたところ、変形性頸椎症、というやつらしい。
首の骨がちょいとずれているせいで、神経を圧迫しており、それがしびれの原因なのだそうだ。
特効薬的なものはなく、地道にストレッチなどして治していくしかない。
でさっそく、首の骨を 10kg の負荷でひっぱる機械にかけられ、頭と胴体を引き離そうとする拷問道具に・・・いやいや
これが、とっても気持ちよい。
天国のような気持ちよさ。
天国なんて行った事ないけどさ。
ついでに、腰もあまりよくないので、背骨と腰骨を 25kg の負荷で引き離そうとする拷問道具にかけてもらった。
これも、もう最高。
生きてて、よかった。
涙がちょちょぎれそうになった。
会計を済ませ病院を出たのだけれど、あのおしよせる快感のあとでは身体にまったく力が入らず、おもわず駐輪場にあったベンチでしばらく動けなかったよ。
家に帰ってきて、いろいろやろうとしていたことがあったのだけれど、眠くてしょうがなく、結局そのまま夜まで爆睡してしまった。
しばらく通院することになるのだけれど、これは病み付きになりそう。
病院に行くのが病み付きなんて、どうかとも思うのだけれど。
レントゲンでみたところ、変形性頸椎症、というやつらしい。
首の骨がちょいとずれているせいで、神経を圧迫しており、それがしびれの原因なのだそうだ。
特効薬的なものはなく、地道にストレッチなどして治していくしかない。
でさっそく、首の骨を 10kg の負荷でひっぱる機械にかけられ、頭と胴体を引き離そうとする拷問道具に・・・いやいや
これが、とっても気持ちよい。
天国のような気持ちよさ。
天国なんて行った事ないけどさ。
ついでに、腰もあまりよくないので、背骨と腰骨を 25kg の負荷で引き離そうとする拷問道具にかけてもらった。
これも、もう最高。
生きてて、よかった。
涙がちょちょぎれそうになった。
会計を済ませ病院を出たのだけれど、あのおしよせる快感のあとでは身体にまったく力が入らず、おもわず駐輪場にあったベンチでしばらく動けなかったよ。
家に帰ってきて、いろいろやろうとしていたことがあったのだけれど、眠くてしょうがなく、結局そのまま夜まで爆睡してしまった。
しばらく通院することになるのだけれど、これは病み付きになりそう。
病院に行くのが病み付きなんて、どうかとも思うのだけれど。
2009-06-15
あー、やられた
唐組公演「黒手帳に頬紅を」@新宿花園神社、千秋楽
お芝居の千秋楽、というのは、祭りの終焉を迎える様相に似ていないこともなく、華やかなんだけど、どこか寂しく感じてしまう匂いがあるように思う。
ぼくは劇団員という経験はないのだけれど、なんだか、わかるんだな、うん、わかるんだよ。
写真家・首藤幹夫氏の幻燈、というきっかけから唐組の世界を知り、その奥深さ格好よさに魅せられ、そして表現とはなんたるかをもう一度深く考えさせられ、気がついたらつごう三回、紅テントに足を運んでいたのであった。
三度目の、千秋楽を迎えた紅テントは、言語を絶するくらい、すごかった。
開演した直後から降り出した雨が、まるで過酷な試練のように、あるいは何かを祝福するかのように、容赦なく、テントの天井をたたきつける。
滝のような雨音が、テント屋根の素地に相乗効果を加えて、この世のものとも思えない轟音を響き渡らせる。
しかし、役者たちは負けちゃいなかった。
むしろ、豪雨が降りしきる花園神社の境内で、彼らは嬉々として最後の「黒手帳に頬紅を」の世界を熱演していた。
ああ、これも、表現活動に関わる者にとって、生きていてよかったなぁ、と、心の底から実感させてくれる瞬間なのであるよ。
打ち上げに混ぜて頂いたのだけれど、完全に余韻モードに入っており、なんだかうまく言葉が出てこない。
頭がぼーっとなってしまい、誰と何を話したのかよく覚えていない。
家に帰ってきて、うん、頑張ろう、と思ったよ。
お芝居の千秋楽、というのは、祭りの終焉を迎える様相に似ていないこともなく、華やかなんだけど、どこか寂しく感じてしまう匂いがあるように思う。
ぼくは劇団員という経験はないのだけれど、なんだか、わかるんだな、うん、わかるんだよ。
写真家・首藤幹夫氏の幻燈、というきっかけから唐組の世界を知り、その奥深さ格好よさに魅せられ、そして表現とはなんたるかをもう一度深く考えさせられ、気がついたらつごう三回、紅テントに足を運んでいたのであった。
三度目の、千秋楽を迎えた紅テントは、言語を絶するくらい、すごかった。
開演した直後から降り出した雨が、まるで過酷な試練のように、あるいは何かを祝福するかのように、容赦なく、テントの天井をたたきつける。
滝のような雨音が、テント屋根の素地に相乗効果を加えて、この世のものとも思えない轟音を響き渡らせる。
しかし、役者たちは負けちゃいなかった。
むしろ、豪雨が降りしきる花園神社の境内で、彼らは嬉々として最後の「黒手帳に頬紅を」の世界を熱演していた。
ああ、これも、表現活動に関わる者にとって、生きていてよかったなぁ、と、心の底から実感させてくれる瞬間なのであるよ。
打ち上げに混ぜて頂いたのだけれど、完全に余韻モードに入っており、なんだかうまく言葉が出てこない。
頭がぼーっとなってしまい、誰と何を話したのかよく覚えていない。
家に帰ってきて、うん、頑張ろう、と思ったよ。
2009-06-09
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