2011-01-31

むんむんむらむら

僕の気質として、薮から棒にひとから「やれ」と言われたことは、ほぼ確実に「やらない」。

自分で率先してやってみたいことしか、やりたくない。

やれ、と言われたことを粛々とこなすことができるひとをプロと呼ぶのなら、ぼくはプロじゃなくてもいいや。


頭の中が、妄想でぐるぐるし始めた。

5、6年前よりは、肩の力を抜いてやれそう。

肩の力を抜く、って、合気道ではとても大事。

何事も底辺では繋がっているのだからして、たぶんこの妄想も合気道と同じように「肩の脱力」が大事になると思う。


妄想できる余地が多少なりともあるのなら、それはどんなことでも率先してやる。

妄想できる余地がまったくないのなら、そんなものはやる価値がないと言っていい。


一番望ましいのは、自然発生的に妄想が沸き起こり、それをどうやって具現化するかをまたさらに妄想で攪拌して、あとは着地点を定めそこに向かって爆進できることだ。


いま、それが起こりつつある。


春頃だ。

2011-01-23

ありがとう

Hachioji影絵プロジェクトの、今期メンバーによるさいごの公演は無事終了しました。

打ち上げで花束をいただいてしまい、びっくりするやら嬉しいやら。

みなさん、どうもありがとう〜

とはいえ、お礼を言いたいのは、こちらこそ。

幻燈は、チームワークなくして実現不可能。

プロジェクトのみんなのおかげで、ほんとに楽しい一年でした。


こういう機会に巡りあわせてもらって、首藤幹夫さん、造形大の中里先生にも最大限の感謝を。


2011-01-17

今週末、江戸写し絵(幻燈)上映ふたたび@東京造形大学

昨年江東区の中川船番所資料館で上演した Hachioji影絵プロジェクトによる幻燈作品「中川妖怪絵巻」を、東京造形大学校内にて今週末再演します。

以下紹介文は首藤幹夫さんのブログから拝借。

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東京造形大学大学院〈Hachioji影絵プロジェクト〉は、伝統とアートを融合させ、地域のなかでアートコミュニケーションをめざす活動です。
これまで、江戸時代に使われていた幻燈機「風呂」を復刻し、大学のある八王子にゆかりの影絵(写し絵)を各地で上映してきました。
今回、江戸時代の浮世絵をモチーフにした新作影絵「中川妖怪絵巻」を上演いたします。

指導担当/中里和人、小林貴史、首藤幹夫

2011年1月22日(土)
東京造形大学キャンパス 7号館デザイン棟A 地下スタジオ
(場所は変更になる場合がございます)
キャンパスマップ
http://www.zokei.ac.jp/campuslife/map.html

14時30分~第一回公演
15時30分~第二回公演

音楽:シューヘイ
http://shuhey.com/

再演とはいえ、場所が変われば新しい演出も出てくるかもしれません。
ちょうどキャンパス内では卒業制作展の「ZOKEI展」が開催の時期でもあり、一般の方々も自由に入れます。

ZOKEI展
http://www.zokei.ac.jp/campuslife/zokeiten.html

学校へのアクセス
http://www.zokei.ac.jp/smenu/access.html


お時間ある方、是非!

2011-01-12

おとしだま

年明け8日、9日は中野富士見町の plan-B にて、『高橋悠治+田中泯』公演の裏方仕事へ。

昔は「おとしだま」といえば武士は太刀を、町人は扇を、町医者は丸薬を贈ったそうな。

ならばこの二日間は、僕にとって高橋悠治さんから音楽を贈ってもらったようなものかもしれぬ。

ほんとうは、音楽とかなんとかそんなのは越えていたのだけれど。


田中泯さんは、この世で最強のリスナーであろう。

その場で踊ることで、いま奏でられている音の反応を、そのままダイレクトに演者に魅せるのだから。

嬉々としてステージに佇むお二方を観て、なんとも正月らしい浮世離れした場を、楽しませてもらった。


桃花村で作られていた干しイモ二袋を買ってきたのだけれど、あっというまに平らげてしまった。

2011-01-05

R.I.P Mick

そもそも、いま僕がギリシアの Rembetika を聴くようになったのは、貴方のおかげなんです。

クラシックを習っても、キプロス島の DNA によって不思議なフレーズしか弾けないことに悩んだこともあったとか。

それでも、貴方の揺るぎない唯一無二のスタイルを聴いて、ぼくは音楽のすばらしさを教えてもらったんだ。

さぞやここ最近はとても辛い毎日だったと思います。

やっと楽になれたんだね。

ゆっくり、安らかに休んでください。

心の師、Mick へ。

2011-01-04

方針

今年は、「言葉と共に生きて」みようかと思う。

それは、「急に饒舌になる」というのではないし、なにかにつけ七面倒な理屈をこねくり回すということでもない(そのケは従来からちょっと(?)あるけれど)。


日々の生活の中での「言葉」を、意識的に咀嚼しなおしてみたい。

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2011-01-03

初夢

ギタリストの土屋昌巳さんが、僕がつい最近リアルで買ったテレキャスターと同じタイプの、ものすごく年季の入ったやつを弾いている。

メイプル指板で、2フレット、4フレット、6フレットの辺り、、つまり F#、G#、A# といった、普通はあまり使わない指板上のポジションが異常に汚れている。

フレットは完全に磨り減っていて、指板をスキャロップのように削ることでフレットの「盛り上がり」を強引に作っている。

指板の木目がささくれだっていて、一瞬、これでは弾きづらいだろうと思われるのだが、実際に指を這わせてみると意外とスムーズにフィンガリングできる。

ここまで弾き込まれたギターはなんて幸せなんだろう、と思う。

土屋さんに「フレットがまったくないけど困りませんか?」と訊ねると、「全然困らないよ!」と云い、ヘッドの付け根の「蓋」をパカっと開けると、そこに収納されていた着脱可能なフレットがばらばらと僕の手のひらに溢れ出てきた。


手のひらに盛られた着脱可能なフレットの山を見つめる。

2011-01-01

今年もよろしく

2011年。平成23年。あけましたですな。今年もよろしくです。

午前0時、年越してすぐに近所の深大寺に徒歩で初詣へ。
今年は後厄ということで、念のため厄除けしてもらう。
本堂で護摩ががんがんに焚かれ、総勢9名の坊さんによる読経が始まってすぐ、自然に合掌した。
不思議なもので、本厄をなんとか乗り越えた安心感(あるいは達成感?)からか、手の甲から邪気のようなものがふわふわと抜けているのを感じた。
帰宅後、おとなしく就寝。




















朝7時に起床、すぐに毎年恒例の「小づゆ」調理。
「小づゆ」は会津の郷土料理で、正月など祝いの時に食べる汁物。
貝柱でとった出汁がさっぱりとしてて、酒飲みながらでも食せるのがいい。

出来上がると、小づゆを肴にさっそく「泉川」で初酒。
泉川という日本酒は、高校の同級生の実家が蔵元の銘柄で、フルーティながらもどっしりとした味わいでとても美味。
朝っぱらからぐいぐいと何杯でもいっちゃいそうになるのを、けんめいに自制。




















軽く酔っ払った足で、元日特有のすっかすかな電車に揺られ、これも毎年恒例の帝釈天詣で。
正月ここに来るようになって、もう22年。
帝釈天の門をくぐるときは「ただいま」と思う。
屋台でチヂミやトッポギを頬張り、江戸川の土手で寝転がり、凧揚げの風景を眺めながらしばし初春の心地良い日差しを浴びる。




















昼過ぎに柴又をあとにし、そのまま青山イメージフォーラムに向い映画「ハーブ&ドロシー」を鑑賞。
作品を作る側と、それを楽しむ側の「あるひとつの関係性」。
「現代アート」において、NYCという場所がすでに特権的ではあるものの、この作品で語られることはあくまで超普遍的な「一傍観者」の在り方であった。
夫婦共にアートと共に生きるという選択。あるいは生活にアートがある、という生き方。
夫妻のそんな生き方を評して、「誰でもそういう生き方を選択し得たのに誰もしなかった」と云う、あるひとりのアーティストが発した一言に、色々考えさせられる。




















帰りしな、職安通りの韓国スーパーに立ち寄り、この三ヶ日の間に食べようと冷麺などを調達したのだが、帰りの京王線の車内で賞味期限が一週間以上前で切れていることに気が付き、一旦帰宅した後にレシートをもって車で返品しにいく。
元日特有の、すっかすかな甲州街道を滑るように一路、新宿へ。
モノをみせると、お店のスタッフがたいへんに大げさなジャスチャーで驚き、謝罪し、すぐに代わりのを持ってきてくれた。

でふたたび帰宅し、ふたたび泉川で嫁さんと乾杯し、ふたたびほろ酔い気分でこれを書いている。

そんな元日。

調布、雑司ヶ谷