2009-02-28

なみだ

MAMMA MIA! を観てきた。
いやーダンシングクィーンであんだけ泣くとは思わなかった。しかも号泣に近いほどの。

ピアーズ・ブロスナンの歌声、意外といい感じでしたな。
ちょっと無骨な感じの歌い方をする方なので、やさぐれフォーキーブルース(ってどんなんだ?)で真面目に歌手デビューしたらハマると思うのだけれど。

それにしてもメリル・ストリープの歌声の若々しいこと。格好いい!とさえ思ってしまった。
それに、名女優にふさわしい、演技と歌の絶妙なバランスが大変に素晴らしい。

ところで、野外で歌っているシーンの音響が面白い。
バックはもちろんオケだけど、歌声はもしかして同録?と思ってしまったくらい、かなりナチュラル。
波の音と歌声のカブり方がかなりリアルなのであった。
どういう作り方(撮影・録音・編集)をしたのか、かなり興味津々なのだけど、いずれにしても、歌声の処理の仕方は正しい、と思った。
わざとらしくリバーブ処理なんかしたら「いかにも・・・」なミュージカル映画になっちゃって興ざめしていたかもしれないから。

そういう、ちょっとした演出の効果もあり、思わず笑ってしまうくらい、無邪気で素敵なミュージカル映画でした。

2009-02-26

つめ

ギターを弾くときに、ピックではなく、右手の親指、人差指、中指、薬指の四本の指の爪を使う練習をするようになった。

まだぜんぜん



こういう域には達してないのだけれど

それはともかく

爪が伸びているとパソコンのキーボードが叩きにくい。

あるていど伸びてきたらもちろん手入れはするのだけれど、気がつくとすぐに邪魔なくらいになっているのであった。

けっこう、伸びるのがはやい。

一週間に二回くらいは爪切りとやすりでパチン、スリスリとやってる感じ。

好色な人は髪の毛の伸びるのが早いというけど、爪って、、

2009-02-25

みがひきしまる

人に褒められたりすると、その瞬間はとても嬉しくて満たされる思いを味わうのだけれど、時が経つと、褒められたことの真の意味がじわじわと理解できてきて「もっとちゃんとやろう」とか思っている自分に気がつく。

または、素っ晴らしいものを観てしまったとき、単純にそこに感動をおぼえる反面、自分の未熟さというかヒヨワさをも同時に思い知らされて「もっと頑張られば」と思っている自分もまた居たりする。

その二つがここ最近、ほぼ同時に近い短いスパンで襲ってきてて、なんだか恐れ多い気分でいる毎日。

恐縮とは、恐れて縮こまる様子のことだと思うのだけれど、そこまでじゃないけどやっぱり多少は縮こまっているみたいだ。

この状態になるといつも思い出すのが、「ねじ式・紅い花」(小学館刊)の巻末で、糸井重里さんが書かれたあとがきの一文。

「いまあらためてつげ義春を読むなどということは、もしかすると、幸福のためにはしてはならぬことなのかもしれない。
自分を「いっぱしのなにか」だと思っている若者や、仲間うちではダントツの才能を誇っている誰かが、つげ義春一発でバタバタ倒れていくようすが目に見えるようである。
ちょうどいい幸福、軽い名誉、弱々しい敬意やほどほどの嫉妬の視線などを、みんな犬にでもくれてやって、「とぼとぼ」とひとりで歩きはじめてくれることを、昔の若者である私は願っているのである」

ああ、ほんとに、そういう感じ。いま。

とぼとぼ。

2009-02-20

ぶじしゅうりょう

首藤幹夫さんの「幻燈写真劇場 − 唐十郎の世界」、無事終了しました。
首藤さん、須藤かよさん、劇団唐組の稲荷卓央さん、スタッフの皆皆様、大変にお疲れさまでした。
なんていうか、とんでもなく素敵な一夜を過ごさせてもらいました。
首藤さんをはじめ、皆さんに感謝感謝感謝。

今回の作業では、コンプレッサーの良い勉強になったなー。
これでもう、生楽器の録音はなんでもいけそうである。
いつかはオーケストラもやってみたいところだけど、死ぬまでにそんな機会あるといいな。

そういえばいまさらだけど自分自身(と、きっとどこかで待っててくれてる方へ)業務連絡。
ソロのリリースは 3 末に順延します。
制作環境を新しい Mac にしてからいろいろ横道に逸れてしまい、気がついたら最初の予定とは違う曲が出来てしまい、いまかなりとっちらかり中のため。
で今回の幻燈写真劇場向けに作ったフォークトロニカな曲がなかなかいい感じなので、ソロ作向けに若干アレンジしなおして収録しようと思います。

2009-02-12

まぁそのぅ

ブログを引っ越した理由は、特にない。
単なる気分転換、心機一転。
炎上したとか、そういうスキャンダラスな理由があれば、面白かったのに。

話は変わるが、一休さんのように「ぽくぽくぽくちーん」とアイデアが湧く人間になりたい。

調布、雑司ヶ谷