2009-05-04

無から有を生み出すという事

花園神社で、劇団唐組の新作・「黒手帳に頬紅を」を観る。

plan-B で今年 2 月に開催された写真家・首藤幹夫さんの幻燈「夕坂童子・朝顔男」の音楽を担当させていただいた縁で、唐十郎さんや唐さんが率いる「劇団唐組」の世界に(恥ずかしながら)初めて触れ、猛烈に引き込まれてしまった。

なぜ、これまで唐組を観ていなかったのだろう。

知らなかった訳でもなく、ましてや興味が無かった訳ではもちろんないのだけれど。

終演後、毎回恒例だというテントの中で車座になっての打ち上げで、いろんな方々のお話を伺った。

「唐組の芝居を観ると元気をもらうんだよなぁ」と、誰もが口を揃えて仰る。

うんうん。

色々々々々々々々々々・・・・な事柄が、量的にも時系列的にも積み重なり、一言二言では語り尽くせないのだけれど、僕も感じた「元気をもらえる源」について、一つだけ、感じたことがあった。

それは、「無から有を生み出す熱気」、そして、「生み出したものをまた無に返す勇気」なのであった。

前者は、ものを作る作業に関わる人ならば誰しもが持っているであろうことではあるが、後者は、普通は持たないものだ。

表現=ライブは、それを観た人たちと場を共有し、共有したものを持ち帰ってもらってナンボだろう、ということを、頭の中ではみんな判っている。

でも、唐組の芝居は、最初から「そういうものです」というスタンスでやってらっしゃる、というメッセージが、なんかこうビンビンに伝わってしまったのだ。

そこにあったのは、ニヒリスティックの反対。

それらは、超高熱。ビックバンのような。

後半、芝居の架橋のところで、思わず泣けてしようがなかった。

たまらなく、いてもたってもいられなくなった。

ああ、この衝撃はいったいなんなんだろうか。


「おとしまえ」という言葉を好んでつかう人が居るが、唐組の芝居を観て、ほんとのおとしまえってどういうものか、なんだかよく判ったような気がする。

こういうことなんだよなぁ。

首藤さんには、こんなに素晴らしい世界に引き込んでもらい、ほんとに感謝だし、そして、唐組という集団とおなじ時代に生きていられることにも改めて感謝したい。

ありがとうございます。心から。

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