いままで何気なく聴いていた楽曲の作曲者が、えーーー、あの人だったの!
とか、
芝居の中で登場するあるキーワードが、判っていそうで実はよく判っていなかった
とか。
とにかく、この世はまだまだ知らないコトの方が圧倒的に多い。
すっぽりとオフの時間ができたので、こういうときに補うのであった。
2010-04-26
幻燈写真ツアー(Photographic Magic Lantern Tour) Vol.2 無事終了
大阪でお世話になった E氏、OZCの皆様、そしてご来場いただいた皆様方、有難うございました。
首藤さんの幻燈ライブはこれまで何度かご一緒させていただいているのだが、今回ほどショーアップした感じの実演は初めて。
一体なにをショーアップしたのかというと、それは取りも直さず「幻燈写真」そのものな訳だが、やはりスクリーンに映し出されるのが「劇団唐組」となると、首藤さんをはじめ我々の表現が逐次変化するのは、これは自然な成り行きか。
ぼくにとって一番大きな変化だったのは、二日目に一曲だけ、客席のうしろからステージに移動して演奏(と歌唱を)したこと。
幻燈写真ライブの時は通常、ぼくは客席の後ろで演奏するようにしているのだが、これはお客さんには幻燈写真にのみ、注目してもらいたいためだ。
このことは僕にとって「こだわり」と言ってもいいくらい大事なことで、それもこれも 20 年まえにやっていた Proto-Air というバンド時代に感じていたディレンマがあったからこそだと思う。
知らない人ばっかりと思うのでちょっと説明すると、当時、アインシュタインとかウゴウゴルーガっていうテレビ番組で CG を作っていた秋元きつねとそんな名前のバンドをやってたんです。秋元は歌とベースと映像、あと木魚などで活動しているはっちゃきどんがドラム、でぼくがギターと歌、っていうトリオ編成。
当時、秋元は Amiga というメーカーのコンピュータ上で作った CG と、やはりコンピュータで作った音楽データとを MIDI という規格で同期させ、我々が演奏している背後にかけたスクリーンに映写していたのです。
いまでいう VJ のハシリだったわけだけど、リズムや歌詞に完全にシンクロした CG がぐるんぐるんぴょこぴょこ動くわけだから、お客さんからしたら演奏見てるよりも映像見てる方が面白いわけ。
なので、あのときは必要以上にステージアクションが派手だったように思う。CG なぞに負けるかと。若かったし。
いまから数年前に初めて首藤さんとの幻燈写真ライブをやらせていただいた時は、ぼくはスクリーンの横で、椅子に座って静かに演奏していた。
ところが、この時はバンド時代とは逆の印象を受けたんだな。
ぼくとしては、幻燈写真の、あの素敵な映像にのみ、注視してほしいのだけれど、どうしてもお客さんの視線がちらちらとぼくの方に動く。 どんなに目立たないように演奏しようとしても。
これはイカン、と、それから僕は客席の後ろで演奏するようにしたのだった。
こうした変更は大正解で、その後上演した幻燈写真の摩訶不思議ワールドに一役買っていた。(と、思う)
一日目の夕坂童子は、ぼくは後ろで演奏し歌ったのだが、ところがこれは不評を買ってしまう(苦笑)。
シューヘイくん、あれは前に出なあかんわ、と。
そこでフレキシブルな我々のこと、とある演出をもろもろ追加・変更しつつ、先にも書いたように二日目は前に出させていただいた。
会場には二日間通して御覧いただけたお客さんもいらしたのだが、いつも言うように、幻燈写真ライブは同じタイトルだとしても同じことは二度できない、ということを、この時はかなり強く感じていただけたのではないか。
映画などのパッケージ化された媒体を使った映像表現と違い、幻燈写真ライブの醍醐味はまさにこんなところにある、と、つくづく実感した次第。
二日間とも、オープニングアクトということで須藤かよさんにアコーディオンによる弾き語りを一曲演奏していただいたのだが、彼女の持ち歌が幻燈写真上映会にこれほどまでハマるとは、さすがにぼくも想像していなかった。
特に、二日目に歌っていた「めからうろこ」という曲。これはもう、不遜だけど大阪でのこの日のために作られた曲だったのではないかと思われるくらい、素晴らしかった。
それがどんな歌なのかは、ぜひライブハウスで彼女の生歌を聴いてもらいたい。
あ、もちろん、一日目の曲も素晴らしかったんですよ。彼女が以前主催していた「ヤツマターズ」っていうユニットで演奏していた頃から大好きな曲。
ライブがハネた大阪三日目、中崎町観光をしたいというかよちゃんと一旦別れ、首藤さんと二人で某所に移動し、そこでは幻燈に関するとっても面白いお話をうかがった。
映像と音楽ってとっても相性が良いとは思っているのだが、幻燈のような手作り感のある光彩には、なんだかわくわくするような魅力を感じ続けている。だからこそ幻燈写真が大好きなんだけど。
これから先、幻燈というものと末永くお付き合いさせていただくような予感がして、楽しみなのだ。
かよちゃんとはその後なんばで再び合流し、劇団唐組第45回公演「百人町」初演を鑑賞。
その後もいろいろものすごいことがあったりで、大阪での四日間を心の底から堪能した。
そうそう、唐組の打ち上げでお話させていただいた H 氏から、あべのアポロビルの話をうかがうことができたのだった。
前回の大阪ツアーの際に、ぼくが大阪に住んでいたころバイトしていたアポロビル周辺がものすごく変貌している様を見てかなりショックを受けたのだけれど、あべのに詳しい H 氏からこれまでの変遷を教えてもらい、時間が経過していく侘しさを解消することができた。
まさに、「刻(とき)の針に逆らいながら」という、夕坂童子に出てくる一篇の詩のような一時であった。
2010-04-19
2010-04-03
Omotter
以下、TL 風に。
つぶやこうとした場合の信号の流れは、心(思考)-> 頭(言語)-> キーボード(肉体)となる。いろいろ経由するわけだ。
「いま思っている」ことを140字に収めるべく、「文章作成」という作業が発生する。
「文章を作成する」には、言葉の取捨選択が必要になる。ともすれば、つぶやこうと思っていたコト自体が「捨」の対象になることもあろう
たった140文字の中に、そこには少なからず「理性」は存在する
将来、脳で発生した微弱な電気(=思考そのもの)をそのままネットに流せる技術ができたらいい。思ったことが、肉体を経由せずに直接活字化される。
もし、その技術が昨日使えたとしたら、20:20 くらいから 21:30 くらいまでの間、おれは「うぜえなこいつ」「いやなら帰れよ」「殺したいこいつ」「ううがまん・・」「うううううううがまん・・・」「うううううううううういいかげんにしろこのタコ」とつぶやいていた
昨晩は、田中泯さんの独舞を拝見した。
音楽をまったく使わない、ほんとうの「独舞」。これが、物凄く良かった。素晴らしかった。特に後半から徐々に現れた、肉体と影との輪唱のような表現は圧巻。
龍馬伝人気で、いわゆる「ふつーのひと」なお客さんが多かったようだ。
いわんや、おれの隣にはリーサラ風のおっさんとその連れが。
公演が始まり数分後、リーサラは腕時計をちらちら見ながら大きな溜息をつき始めた。溜息は以後、5分間隔で漏れていた。
時計ちら見、および溜息は、結局、終演まで延々続くことになる。
客電がつき、満場の拍手のなか、リーサラは当然のように拍手はしない。
だが、どうやら客席の他の場所でもそのような状況は起こっていたらしい。
泯さんの、終演後の挨拶。「狭っ苦しい席で申し訳ない。そして、これが本当のアンダーグラウンド、です」
打ち上げで、泯さんに「あのような話はよく話されるんですか?」と尋ねると「いや、初めて言った」
馬鹿なことに、つい「おれはあのとき、ざまーみろ、って思ったんですよ」と言ってしまった。それが地雷だった。俺の小心者っぷりが、泯さんの怒りを買ってしまった。安くない買い物だ。
昨晩の泯さんは、どういうわけか「信頼している」という言葉を何度も使われていた。信頼。人を信頼する、とはどういうことなのだろうか。酔っ払った頭にエコーする。
朝の 4時過ぎまで、泯さんを囲んだ酒は続いた。最後の方は、泯さんと常連のお客さんとで Twitter におけるコミュニケーション論で論争が勃発していたが、こっちのテーブルは「言葉不要論」をグダグタになりながら語っていた。ような気がする。
久しぶりに朝まで痛飲してしまい、かなり調子悪い。
表現、言語、酒、仲間、場所、そんな気分だった一日。





















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