以下、TL 風に。
つぶやこうとした場合の信号の流れは、心(思考)-> 頭(言語)-> キーボード(肉体)となる。いろいろ経由するわけだ。
「いま思っている」ことを140字に収めるべく、「文章作成」という作業が発生する。
「文章を作成する」には、言葉の取捨選択が必要になる。ともすれば、つぶやこうと思っていたコト自体が「捨」の対象になることもあろう
たった140文字の中に、そこには少なからず「理性」は存在する
将来、脳で発生した微弱な電気(=思考そのもの)をそのままネットに流せる技術ができたらいい。思ったことが、肉体を経由せずに直接活字化される。
もし、その技術が昨日使えたとしたら、20:20 くらいから 21:30 くらいまでの間、おれは「うぜえなこいつ」「いやなら帰れよ」「殺したいこいつ」「ううがまん・・」「うううううううがまん・・・」「うううううううううういいかげんにしろこのタコ」とつぶやいていた
昨晩は、田中泯さんの独舞を拝見した。
音楽をまったく使わない、ほんとうの「独舞」。これが、物凄く良かった。素晴らしかった。特に後半から徐々に現れた、肉体と影との輪唱のような表現は圧巻。
龍馬伝人気で、いわゆる「ふつーのひと」なお客さんが多かったようだ。
いわんや、おれの隣にはリーサラ風のおっさんとその連れが。
公演が始まり数分後、リーサラは腕時計をちらちら見ながら大きな溜息をつき始めた。溜息は以後、5分間隔で漏れていた。
時計ちら見、および溜息は、結局、終演まで延々続くことになる。
客電がつき、満場の拍手のなか、リーサラは当然のように拍手はしない。
だが、どうやら客席の他の場所でもそのような状況は起こっていたらしい。
泯さんの、終演後の挨拶。「狭っ苦しい席で申し訳ない。そして、これが本当のアンダーグラウンド、です」
打ち上げで、泯さんに「あのような話はよく話されるんですか?」と尋ねると「いや、初めて言った」
馬鹿なことに、つい「おれはあのとき、ざまーみろ、って思ったんですよ」と言ってしまった。それが地雷だった。俺の小心者っぷりが、泯さんの怒りを買ってしまった。安くない買い物だ。
昨晩の泯さんは、どういうわけか「信頼している」という言葉を何度も使われていた。信頼。人を信頼する、とはどういうことなのだろうか。酔っ払った頭にエコーする。
朝の 4時過ぎまで、泯さんを囲んだ酒は続いた。最後の方は、泯さんと常連のお客さんとで Twitter におけるコミュニケーション論で論争が勃発していたが、こっちのテーブルは「言葉不要論」をグダグタになりながら語っていた。ような気がする。
久しぶりに朝まで痛飲してしまい、かなり調子悪い。
表現、言語、酒、仲間、場所、そんな気分だった一日。
0 件のコメント:
コメントを投稿