その当時、ぼくはバイク便のバイトをしていた。
浜松町に住んでいたので、朝一の仕事は近場の銀座〜築地から発生することが多く、その日もいつもどおり、朝一本めの集荷のために、築地の大手広告代理店に向かった。
荷物を集荷し終わったのは、たしか 8:20 くらいだったと思う。
バイクにまたがり、配達先の新宿に向かおうと昭和通りを皇居方面に横断しようとしたとき、新橋方面からものすごい数の救急車、消防車、パトカーが僕がいま居たあたりに向かって集結してきた。
サイレンの音が大轟音となって、あの周辺一帯の空を埋め尽くしていた。
その迫力に、正直ビビった。
僕はなにか大規模な避難訓練でもやってるんだろうと思い、新宿を目指してバイクを走らせた。
その日は一日中、都内を回る仕事が多かったのだが、池袋や新宿など、どこに行ってもなぜだかパトカーや救急車が数台、群れをなして走り回っている。
さすがに、これは避難訓練じゃないのかな、と思い始めた。
朝、築地のあたりで何が起こったのかを知ったのは、夕方に市ヶ谷の大手印刷会社に配達に行った時だ。
いつもは無愛想で意地悪な印刷会社の守衛のおっさんが、「いやーえらいことになった、毒ガスだ毒ガスだ」といって狼狽えていて、普段はなかなか素直に渡してくれない配達室への入室証をすんなりくれた。
その、守衛のおっさんのいつもとは違う様子にまず、なにか不穏なものを感じた。
「なんだよ毒ガスって」と訝りながら、守衛室のテレビを覗きみたら、水戸黄門だかの再放送をやってるはずの時間なのに、レポーターがなんだかものすごい剣幕で何事かを叫んでいた。
ここまでくると、さすがに世の中で何が起こっているのか気になり、会社に配達終了の電話報告をかけたとき、電話の向こうの担当者に「今日なんだか道にパトカーとかすごいんだけど、何かあったの?」と訊いたのであった。
それから数週間、バイク便業界内で、放送業界専門で動いているとあるバイク便屋について、いろんな噂を聞いた。
白地に青の塗装を施したバイクに乗っているそのバイク便屋は、昼夜を問わず複数のライダーを上一色村に常駐しているらしいとか、上一色村で撮影されたビデオテープ一本をテレビ局に配達するのに、白バイの誘導付きで高速道路をぶっ飛ばしているらしい、などなど。
ぼくらのような下町のちっこいバイク便屋からしたら、ちょっとした羨望の的だった。
当時南青山にあったオウム真理教の事務所前には、道路にはみでるほどの報道陣であふれかえり、時間帯によっては車がまともに走れず渋滞が起こるほどであった。
六本木から広尾方面に抜けるのに便利な道だったのに、あの頃はほとんど使えなかった。
秋葉原で、当時教団が営業していたパソコン屋のビラを配っていたにいちゃんを、通りがかりの数人がリンチにした、とかの噂はまことしやかに囁かれた。
あれはほんとだったのか?
そういえば、あるとき秋葉原に行ったら、「私たちは教団とは関係ないんです、なにもしていないんです」と路上で訴えている、件のパソコン屋のスタッフと思われるねえちゃんがいた。
世の中の、「何か」がひっくり返ってしまったのを、バイクで走り回りながら感じた。
別に、オウム真理教を擁護するわけじゃないが、抑圧されてきた不気味な力が爆発すると、こういうことが起こるのだ、ということが、分かった。
超えてはいけない一線を、超えてしまった。
15年前に、そんなことを感じていたというのを、今日、テレビのニュースを眺めていて、思い出した。
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