2010-11-30

幻燈上映会「中川妖怪絵巻」終了 / 気配の意味

土曜日、中川船番所での『中川妖怪船番所』にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。



昼間の公演で、しかもいわゆる劇場的な施設でもない場所だと思っていて、油断していた。
暗転があまりに完璧すぎて、いままで演奏してきたどの場所よりも真っ暗になったので、正直、びびった。
今回は PC や電気類は一切なし(電池駆動によるアンプ内蔵ギターは使ったけど)、正真正銘の「生」で臨んだこともあり、手元すらまったく見えないほどの、闇。
フレットがない三味線は、暗闇での演奏にうってつけだったかもしれない。
暗黒の中で、三味線による呪節がババン、と鳴った瞬間のことはこの先ずっと忘れられないだろうな。


ところで、「写し絵」は、集団による完全なる身体表現である。
いま、「身体表現なのかそれ以外なのか」という事に囚われている。

ただ単に身体を動かしていれば身体表現かというと、どうやらそうではないようだ。
あるいは、観客の目に「演者の身体の動き」が見えていればよいというものでもないようでもある。

舞台に佇む演者の存在そのものに積極的な「気配」があるかどうか。
もっと端的に言えば、「表現」に積極性があるかどうか。

「写し絵」のように集団で一つの像を構築するという作業は、演者同士の呼吸/連帯が不可欠である。
そこで必然的に各自が積極性をもって係わることになる。
このことは、僕にとっていま一番大切なことだと考える。

積極的な気配がないと、おそらく「個」としても成立し得ない。
そんなことを、今更だけど学習した一日。

2 件のコメント:

noguchi さんのコメント...

こんばんは、影絵プロジェクトの野口です。
中川船番所での公演では、演奏お疲れ様でした!

船番所の闇の中で、シューヘイさんがそんなことを感じてたのか…と今知れました。
公演が終わった後、シューヘイさんが暗いと言われていましたが、まさかそれほどまでとは。
私たちは、上映に使う風呂が光っているので、それほどではなかったのかも。

積極的な気配と聞いて、楽しむということを連想しました。
どんな活動でも、楽しむことが大切になってくるのではないかと。
積極性…この発想は教育にも使えそう。うふ

それでは、また次の学内公演の時に、よろしくお願いいたします!

Shuhey Yam さんのコメント...

うん、積極性をもってのぞんだ場合、結果として「楽しかった」という感情が残ることは多いと思う。

表現においては、楽しかったかどうかも大事だけれど、フルパワーの積極性だったかどうかの方が大事で、ものっすごいフルパワーで積極性を噴出したあとは灰になっちゃうので、感情的な記憶は何も残らないことの方が多いです。。まぁ、総じて楽しかった、と思うことは沢山あるのだけれど。