2011-01-01

今年もよろしく

2011年。平成23年。あけましたですな。今年もよろしくです。

午前0時、年越してすぐに近所の深大寺に徒歩で初詣へ。
今年は後厄ということで、念のため厄除けしてもらう。
本堂で護摩ががんがんに焚かれ、総勢9名の坊さんによる読経が始まってすぐ、自然に合掌した。
不思議なもので、本厄をなんとか乗り越えた安心感(あるいは達成感?)からか、手の甲から邪気のようなものがふわふわと抜けているのを感じた。
帰宅後、おとなしく就寝。




















朝7時に起床、すぐに毎年恒例の「小づゆ」調理。
「小づゆ」は会津の郷土料理で、正月など祝いの時に食べる汁物。
貝柱でとった出汁がさっぱりとしてて、酒飲みながらでも食せるのがいい。

出来上がると、小づゆを肴にさっそく「泉川」で初酒。
泉川という日本酒は、高校の同級生の実家が蔵元の銘柄で、フルーティながらもどっしりとした味わいでとても美味。
朝っぱらからぐいぐいと何杯でもいっちゃいそうになるのを、けんめいに自制。




















軽く酔っ払った足で、元日特有のすっかすかな電車に揺られ、これも毎年恒例の帝釈天詣で。
正月ここに来るようになって、もう22年。
帝釈天の門をくぐるときは「ただいま」と思う。
屋台でチヂミやトッポギを頬張り、江戸川の土手で寝転がり、凧揚げの風景を眺めながらしばし初春の心地良い日差しを浴びる。




















昼過ぎに柴又をあとにし、そのまま青山イメージフォーラムに向い映画「ハーブ&ドロシー」を鑑賞。
作品を作る側と、それを楽しむ側の「あるひとつの関係性」。
「現代アート」において、NYCという場所がすでに特権的ではあるものの、この作品で語られることはあくまで超普遍的な「一傍観者」の在り方であった。
夫婦共にアートと共に生きるという選択。あるいは生活にアートがある、という生き方。
夫妻のそんな生き方を評して、「誰でもそういう生き方を選択し得たのに誰もしなかった」と云う、あるひとりのアーティストが発した一言に、色々考えさせられる。




















帰りしな、職安通りの韓国スーパーに立ち寄り、この三ヶ日の間に食べようと冷麺などを調達したのだが、帰りの京王線の車内で賞味期限が一週間以上前で切れていることに気が付き、一旦帰宅した後にレシートをもって車で返品しにいく。
元日特有の、すっかすかな甲州街道を滑るように一路、新宿へ。
モノをみせると、お店のスタッフがたいへんに大げさなジャスチャーで驚き、謝罪し、すぐに代わりのを持ってきてくれた。

でふたたび帰宅し、ふたたび泉川で嫁さんと乾杯し、ふたたびほろ酔い気分でこれを書いている。

そんな元日。

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