義母方のご両親は、八重山の民謡「トゥバラーマ」の名手だった、という話だけは以前からきかされていたのだが、先日、嫁さんが義母の法事のために帰省した折、親類が持っていた演奏の模様を録音したカセットテープをお借りすることができ、ダビング業者に依頼してCDに焼いてもらったものが、年末の慌ただしい中に届いた。
年を無事に越すことができ、ようやく落ち着いた気分で聞いてみて、そのあまりのレベルの高さに衝撃を受けた。
沖縄三味線をつま弾きながら歌う祖父、三線とのユニゾンやときおりオブリガードやゴーストノートを、琉球琴で入れる祖母。
通事安京(とうじ・あんきょう)さんのようないわゆる「プロ」の方のCDは、生前の義父から勧められて聞いたことはあったが、そんなプロの演奏家とは違い「表にでてこない」市井の演奏家の音を、初めて聞いた。
こういった音源は、友人や親類などの近しい間柄に、録音の手間暇をかけることを厭わない協力者が居でもしないかぎり、たぶん存在しないだろう。
いま沖縄に存命している親類の中に祖父祖母から指南を受けた者はおらず、特に弟子を持つこともなかった祖父祖母の芸を、どんな形であれ「生で」聞くことはもう叶わない。
盆や正月になると石垣島からわざわざ本島の嫁さんの実家にまで出向き、夜な夜な義父や自分の娘(ようするに義母)らの前で演奏を聴かせてくれていた、という話にふれると、その演奏の凄さを聞いてしまったいまとなっては、沖縄の民謡がいかにひとびとの生活に根付いていたかを、つい羨望の混じった思いで想像してしまう。
4半世紀ほど前、秋元と本土の民謡を聴きながら、いまの日本人としての自分たちにとっての音楽のあり方というものをあれこれと研究していた頃、日本のいわゆる「民謡」が、もうとうに死んでしまったことを個人的に憂い、その想いが当時の音楽を作るモチベーションのひとつだったこともあった。
ペルシア音楽、というものを勉強するようになると、同じ「バラッド」でも、なぜ日本のではなくイランのものを自分は選択しているのだろう、という自問自答はしぜんと時折、沸き起こる。
もちろん、上に書いたようなことは理由ではないが、これからさらにペルシア音楽と過ごす機会が増えるであろうことを踏まえ、なんとなく、今年一年の探求テーマはそのあたりにあるような気がした。
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