2010-05-23

苦悶式最終章、第二幕

突然ですが、七年殺し、って知ってますか。

ニ、三週間まえ、テレビで高田純次が「七年殺し」って言ってるのを嫁さんが「それってなんね」と訊いてきたので教えてあげたのだけれど、意外と有名じゃないのかな。

要するに、「かんちょー」って言いながら、忍者ハットリくんの「ニンニン」のポーズで両手の人差し指を相手のケツにぶっ刺す技のことですが。

それやられると、なぜか七年後に死ぬらしくて、それで「七年殺し」という技名がついたわけだ。


で、痔瘻根治術直後のおれに向かって、嫁さんが「いま七年殺しかけたらどうなるかね」とか恐ろしいことを言ってきた。

たわけ! 七年後どころか即死するわ!!


そんな殺伐とした我が家で、三日間ほど、まったく動けなかった。

とにかく、歩くことがままならないほど尻は痛いし、かといって横になっていても体勢によっては激痛が走るという有様だ。

身体にもっとも負担がかからない体勢は、結局は尻がどこにも触れない「うつ伏せ」の状態であった。

で、三日間の間、ほぼうつ伏せで過ごした。

この体勢は、いろいろと不便である。

まず、テレビが見れない。

本も、最初のうちはいいのだけれど 20 分もすると首が凝ってきて長時間耐えられない。

それでも、横になっている以外は何もできないので、退屈を紛らわすために頑張って本を読んでみたり、うつ伏せよりもすこしだけ身体を横にする技を考案して DVD を眺めたりして凌いだ。

最後の三日目にはさすがに尻の痛みもややおさまり、ゴッドファーザー I から III までをまる一日かかって観るところまで復活できた。

病気とかだったらまぁしょうがないが、身体のなかで尻だけが痛い状態っていうのはかくように手を焼くほどしょうもない。



そうそう、手術後、おれを一番ユーツにさせたのは、朝の排便である。

とにかく、飯を食うのはいいのだが、食ったら出すでしょう、自然の摂理として。

しかしながら、おれの尻はウンコを出せない状態だ、どう考えても。

自然界の掟として出さなくてはいけないのに、おれの本能は出したくない、と叫んでおる。

このかつて経験したことのないディレンマには相当、悩んだね。

出すべきか出さざるべきか、という問は、愚かである。

そもそもが、食うべきか食わざるべきか、なのだ、ウンコを出したくないが故に。

しかしながら、手術当日は、朝から何も食うな、とのお達しに従っていたのが裏目に出て、手術が無事成功したと思った瞬間から、安心したのか空腹が気になりだしたのであった。

腹が減っては戦はできない。

尻は痛いし腹は減っているし、では、あまりに惨めではないか。

どうせ痛いのなら、ウンコの産みの痛みも味わったるわいとばかりに腹をくくり、病院から帰ったその足でコンビニに駆け込み、「どろ味噌仕立て、匠のつけ麺」と「ポテトチップス、コンソメ味」と「コカ・コーラ、ゼロ」と「タラミのアロエゼリー」を買い込んだ。

やけ食いか、ああ、やけ食いさ。


手術の翌日の朝。

とにかく、腹が痛くなるほど水をがぶ飲みした。

水でウンコをふやかして、するーっと出そうという作戦。

いつもなら、朝ぱらから水をがぶ飲みすると効果てきめんですぐに腹が痛くなるのに、こういう時に限ってなかなか陣痛が始まらない。

もう、いろいろやりましたよ。

腸の辺りに刺激を加えようと、こぶしでがしがし叩いたり。

これも普段よくやる、便意をもよおすためのおまじないだけど、煙草をぶかぶかと吸ったり。

そして、待つこと約 2時間。

ついに! 腸が悲鳴を上げ始めた! おし!!

この下っ腹の痛みからすると、尻の苦痛は短時間で終わるかも! と期待しつつ、便座に構え、目を閉じて南無三、と唱えながらエイヤッ! とイキんだ。

しかし!

やっぱり尻は痛かった!!!

知らずのうちに、思わず「グエ」と口から漏らしていた。

だが、なんとかおれは生きている!

そして、手応えからして、立派な一本糞をひねり出すことに成功したようだ!!

やった、おれもやればできるじゃないか!!

と、尻の痛みと感動がごちゃまぜになった涙を流しながら、ウォシュレットのスイッチを入れたのだが、感極まっていたのか、愚かにも誤って水の勢いの「高」ボタンを押していた!!

襲い来る、第二波! まさにセカンドインパクト!!

その瞬間、おれは歓喜とも悲鳴ともつかない雄叫びを、わずか一畳にも満たないトイレの中で上げていたのであった。


脱肛。じゃなくて脱稿。

0 件のコメント: