10年前、音楽活動はまだ復活していなかった。
当時は、サラリーマンのような生活をしていた。
まだ、結婚はしていなかった。
ちょうど、 30代になったばかりだった。
孔子は「三十にして立つ」と言ったが、生活面では、ほんとにそんな感じだった。
それまでは毎日がバイトバイトで不安定だった。
26才の時にバイト中(バイク便)に事故に遭い、27才でバイト生活をやめて、普通の会社員になった。
バイト生活をやめた、ということは、音楽も一旦はヤメタ、ってことだ。
会社員になって 3年間、ふつーに、働いた。
収入は安定した。
1999年の暮れ、冬のボーナスってのをもらったが、何に使おうかと考えて、ついつい宅録システムを買ってしまった。 ボーナスでは足が出たので、借金も作った。
この時期、鈴木惣一朗さんのブログ(当時はまだブログという言葉は無かったと思う)を読んでいたら、細野晴臣さんがこんなことを言っていた、という一文に触れてしまった。
曰く
「ほんとうに好きな音楽をやりたいなら、日曜音楽家になるべきだ」
これは、職業音楽家を、ある意味で敬遠した場面で氏の口から発せられた言葉だ。
このあたりのエピソードは、なんか昔からちょくちょくブログとかに書いてるから以後省略。
で、2000年になった。
30代になって、生活はできてるけど、おれという個人は、会社員っていう生き物のままでええんかい、とかいう、よくわかんない葛藤のようなものと、共存していた。
三十にして立つ、ただし、片足で。
そんな感じ。
両足で立つために、あと何が必要か。
三十代、という、いい大人な歳にさしかかっても、やっぱり世の中舐めて生きていたい。
そういうことを思って、池袋で刺青を彫ってもらった。
コウモリの図柄を、左の肩に。
その後、半年くらいの間に、太陽、鬼、天使、と、上半身に立て続けに彫った。
もう、温泉とか市民プールとかには、行きづらい感じだぜ。
これで、よし。
両足で、しっかりと地上に立った。
今年は、それから 10周年。
この 10年の間、いろいろあったなぁ。
これまでのところ、すごく満足だ。
申し分ない 10年だった。
さて 40代にはなったが、まだ、惑っている。
自分は一生、惑うのだろう。
惑いはしても、世の中を舐めて生きていたい。
次の 10年、楽しんで生きたい。
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孔子曰く
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。
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