2019-07-27

代田橋、中野、野方、笹塚

昼、代田橋で電車を降り、環七を北上して徒歩で中野を目指す。

久しぶりの晴天だが、日陰に入ると比較的涼しく、時折そよぐ風も心地良し。


「テルプシコール」にて、"田んぼのシャーマン"公演「ハムかつ斉藤」を観劇。

今年2月に観た第1作目の時は、唐十郎さんに対するオマージュ、または、唐組を退団した気田さんが自ら立ち上げた座組を見にくるお客さんへのリップサービスかと思い、少しだけ肯定的に捉えていた「唐さんのようなセリフ」の部分について、今度の作品でも使われていたことに正直、鼻白んでしまった。しかも、アルツハイマー症(?)という役にそれを語らせるところで、気田さんは唐さんのいったい何を吸収してきたのだろう、と呆れもした。

唐戯曲が舞台の上で魅せてくれる「幻想/虚構」は、「現実」を描いた上でのそれらではなく、最初から、舞台の上には「それしかない」という覚悟の上に語られるものだ。 気田さんの作品には、悪いがそれがない。ゆえに、矮小なスケール感ばかりが後味として残ってしまう。中途半端な唐イズム(というか、あれは唐さんに対する冒涜)など捨ててしまえればいいのに。難しいのでしょうけれども。

観劇後、歩いて野方へ。 「大和町大盆踊り」に初めてやってきた。

まだお陽さんが高いのもあり、会場はそれほどの混雑ではなかった。 おそらく、これから夜にかけてどんどん人が集まり出すのだろう。 

ふと、会場の狭さがとても気になった。夕方の時点でこの人混みの感じだと、おそらく最高潮になる時には身動きができないくらいの状況になっていると思われた。 

祭りは、人を集めれば良い、というものではない、と俺は思う。 そもそも、祭りは、その土地に住む人たちのものだ、とも思う。 俺のような、中野区大和町にはなんの所縁もない連中を、SNS などを使って宣伝までして、呼び込む必要ってあるのだろうか(あれを宣伝と言わないのなら、そもそも SNS などに関係者が情報を載せるな)。  

ロゴやタイトルが綺麗にデザインされたトートバックやTシャツを、売る動機ってなんだろうか。祭りで。

DJ、別にいいんだけど、南米かどっかのダンスミュージックとか、神社の祭りで俺は聞きたくない。

総じて、フジロック世代がリデザインした祭り、ということがやりたいんだろうな、と思ったけど、世の中には壊していいものと悪いものがある。 SNS で画期的だとかなんとか言っているのを見かけて興味をもったので来てみたが、 いままで誰もこういう「祭り」をやってこなかったのは、それは「祭りだと呼べないからだ」と思う。 少なくとも俺はそう思う。


梅雨明けの青空が心地よくて、ふたたび笹塚まで歩く。

さすがに腹が減り、「せい家」でラーメンとネギ飯と餃子のセットで早めの夕餉。

ちょっとだけチェシュメに顔を出して調布に戻る。


夜、帰宅してヘルスケアアプリの万歩計を見たら、20,840歩。

シャワーを浴び、あっというまに撃沈。


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