〜〜以下、夢の話〜〜
某ライブハウスのマスターが、実はプロデュース業もやっていた。
彼は、某シンガーソングライターの面倒をここずっと見ているのだが、なかなか一皮剥けないそうだ。
でおれに手伝ってくれというので、一緒にその某 SSW の家に行くこととなった。
でも、おれは起きたばっかりで、顔を洗いたい。
洗面所を探している間に、某マスターを見失った。
が、すぐに車で拾われて、無事に某 SSW の家に着いた。
つい最近録音したというデモを聴かせてもらう。
それが、なかなかおもしろいコード進行を使っていて、歌詞が印象的である。
♪腰がくびれた錆〜 キザな太鼓ばらし〜
サビが、こんな歌詞であった。
〜〜以下、現実の話〜〜
目が覚めて、サビのところのアレンジと歌詞がなんか面白いなぁ、と思ったので、すぐにギターを構えて音を拾ってみた。
ちゃんと夢の中で聴いたとおりに再現できたので、忘れないようにコード譜をメモっておいた。
こんな曲、自分のレパートリーとしても使えないとは思うのだけれど。
2009-07-06
2009-07-01
金が無いなら頭と身体を使え
「金で解決出来るものは金で解決してしまえ」
とは、バブル前/後を通過してきた僕の一つ上くらいの世代が一昔前までよくつかっていた常套句。
格好いいんだけどね、なんでもかんでも金で解決できりゃなあ。
ここしばらく、ある機材がずっと気になっていて、そいつを思い切って買おうかどうしようかずっと迷っていたわけ。
仕様書を読んだり、プロトタイプ環境を作ってシミュレーションを繰り返してみたり、どこぞの掲示板やだれぞのブログなどをさんざ徘徊し、買ったあとで利用価値が無かった、、、などという事態にならないよう、かなり慎重に下調べを繰り返していたのだが、、、
やっぱり調べてよかった、おれが買おうとしていた機材は「やろうとしていた」ことに使えないことが判った。
おーあっぶね。
仕様書を読んだだけだと判らんもんだなぁ。
金があったら、まぁ買っちゃった後でも他のことに使うかな、くらいの気分でそんなに後悔しなかったかもしれないが、このご時勢、そんな余裕かますような金、無いよなぁ。
そんなわけで、金は無いから、頭と身体を使って、代替品でなんとかやりたかったことができないものか、試行錯誤と練習に明け暮れてみるのだった。
で、いろいろ創意工夫のおかげで、腰痛持ちの身でも代替品を使ってなんとか「やろうとしていたこと」ができつつあるところまできた。
いやー
むしろ、金がないっていうことは、大事かもなぁ。
おかげで、なんだか技が身に付いたような気分になれたもんな。
たかが、キーボードを足で踏んづけるだけの話なんだけどさ。笑
とは、バブル前/後を通過してきた僕の一つ上くらいの世代が一昔前までよくつかっていた常套句。
格好いいんだけどね、なんでもかんでも金で解決できりゃなあ。
ここしばらく、ある機材がずっと気になっていて、そいつを思い切って買おうかどうしようかずっと迷っていたわけ。
仕様書を読んだり、プロトタイプ環境を作ってシミュレーションを繰り返してみたり、どこぞの掲示板やだれぞのブログなどをさんざ徘徊し、買ったあとで利用価値が無かった、、、などという事態にならないよう、かなり慎重に下調べを繰り返していたのだが、、、
やっぱり調べてよかった、おれが買おうとしていた機材は「やろうとしていた」ことに使えないことが判った。
おーあっぶね。
仕様書を読んだだけだと判らんもんだなぁ。
金があったら、まぁ買っちゃった後でも他のことに使うかな、くらいの気分でそんなに後悔しなかったかもしれないが、このご時勢、そんな余裕かますような金、無いよなぁ。
そんなわけで、金は無いから、頭と身体を使って、代替品でなんとかやりたかったことができないものか、試行錯誤と練習に明け暮れてみるのだった。
で、いろいろ創意工夫のおかげで、腰痛持ちの身でも代替品を使ってなんとか「やろうとしていたこと」ができつつあるところまできた。
いやー
むしろ、金がないっていうことは、大事かもなぁ。
おかげで、なんだか技が身に付いたような気分になれたもんな。
たかが、キーボードを足で踏んづけるだけの話なんだけどさ。笑
2009-06-25
一曲目で涙
渡辺勝レコ発@西荻「アケタの店」
古澤良治郎さんや林栄一さん、船戸博史さんらを従えてのバンド形態もあったけど、まずライブの一曲目は一人ピアノ弾き語りで「夜は靜か、通り靜か」であった。
勝さんがステージでこの歌を歌っているのは何度も拝見しているけど、なんていうか、、
あのシチュエーションであの歌、というのが、もの凄く良かった。
思わず泣けてしょうがなかった。
勝さんが歌う「夜」は、僕はとっても好きだ。
感傷的にならず、ただひたすら「夜」という時間をせつせつと歌にしたためた感じが、良い。
酒も夜も音楽も大好きでしょうがない勝さんと、とっても良い時間を過ごさせてもらった。
レコ発、おめでとうございました、勝さん。
古澤良治郎さんや林栄一さん、船戸博史さんらを従えてのバンド形態もあったけど、まずライブの一曲目は一人ピアノ弾き語りで「夜は靜か、通り靜か」であった。
勝さんがステージでこの歌を歌っているのは何度も拝見しているけど、なんていうか、、
あのシチュエーションであの歌、というのが、もの凄く良かった。
思わず泣けてしょうがなかった。
勝さんが歌う「夜」は、僕はとっても好きだ。
感傷的にならず、ただひたすら「夜」という時間をせつせつと歌にしたためた感じが、良い。
酒も夜も音楽も大好きでしょうがない勝さんと、とっても良い時間を過ごさせてもらった。
レコ発、おめでとうございました、勝さん。
2009-06-23
2009-06-17
ひっぱっちゃって
この一ヶ月ほど、ずっと左腕にしびれがあり、今日ついに整形外科で診察してもらってきた。
レントゲンでみたところ、変形性頸椎症、というやつらしい。
首の骨がちょいとずれているせいで、神経を圧迫しており、それがしびれの原因なのだそうだ。
特効薬的なものはなく、地道にストレッチなどして治していくしかない。
でさっそく、首の骨を 10kg の負荷でひっぱる機械にかけられ、頭と胴体を引き離そうとする拷問道具に・・・いやいや
これが、とっても気持ちよい。
天国のような気持ちよさ。
天国なんて行った事ないけどさ。
ついでに、腰もあまりよくないので、背骨と腰骨を 25kg の負荷で引き離そうとする拷問道具にかけてもらった。
これも、もう最高。
生きてて、よかった。
涙がちょちょぎれそうになった。
会計を済ませ病院を出たのだけれど、あのおしよせる快感のあとでは身体にまったく力が入らず、おもわず駐輪場にあったベンチでしばらく動けなかったよ。
家に帰ってきて、いろいろやろうとしていたことがあったのだけれど、眠くてしょうがなく、結局そのまま夜まで爆睡してしまった。
しばらく通院することになるのだけれど、これは病み付きになりそう。
病院に行くのが病み付きなんて、どうかとも思うのだけれど。
レントゲンでみたところ、変形性頸椎症、というやつらしい。
首の骨がちょいとずれているせいで、神経を圧迫しており、それがしびれの原因なのだそうだ。
特効薬的なものはなく、地道にストレッチなどして治していくしかない。
でさっそく、首の骨を 10kg の負荷でひっぱる機械にかけられ、頭と胴体を引き離そうとする拷問道具に・・・いやいや
これが、とっても気持ちよい。
天国のような気持ちよさ。
天国なんて行った事ないけどさ。
ついでに、腰もあまりよくないので、背骨と腰骨を 25kg の負荷で引き離そうとする拷問道具にかけてもらった。
これも、もう最高。
生きてて、よかった。
涙がちょちょぎれそうになった。
会計を済ませ病院を出たのだけれど、あのおしよせる快感のあとでは身体にまったく力が入らず、おもわず駐輪場にあったベンチでしばらく動けなかったよ。
家に帰ってきて、いろいろやろうとしていたことがあったのだけれど、眠くてしょうがなく、結局そのまま夜まで爆睡してしまった。
しばらく通院することになるのだけれど、これは病み付きになりそう。
病院に行くのが病み付きなんて、どうかとも思うのだけれど。
2009-06-15
あー、やられた
唐組公演「黒手帳に頬紅を」@新宿花園神社、千秋楽
お芝居の千秋楽、というのは、祭りの終焉を迎える様相に似ていないこともなく、華やかなんだけど、どこか寂しく感じてしまう匂いがあるように思う。
ぼくは劇団員という経験はないのだけれど、なんだか、わかるんだな、うん、わかるんだよ。
写真家・首藤幹夫氏の幻燈、というきっかけから唐組の世界を知り、その奥深さ格好よさに魅せられ、そして表現とはなんたるかをもう一度深く考えさせられ、気がついたらつごう三回、紅テントに足を運んでいたのであった。
三度目の、千秋楽を迎えた紅テントは、言語を絶するくらい、すごかった。
開演した直後から降り出した雨が、まるで過酷な試練のように、あるいは何かを祝福するかのように、容赦なく、テントの天井をたたきつける。
滝のような雨音が、テント屋根の素地に相乗効果を加えて、この世のものとも思えない轟音を響き渡らせる。
しかし、役者たちは負けちゃいなかった。
むしろ、豪雨が降りしきる花園神社の境内で、彼らは嬉々として最後の「黒手帳に頬紅を」の世界を熱演していた。
ああ、これも、表現活動に関わる者にとって、生きていてよかったなぁ、と、心の底から実感させてくれる瞬間なのであるよ。
打ち上げに混ぜて頂いたのだけれど、完全に余韻モードに入っており、なんだかうまく言葉が出てこない。
頭がぼーっとなってしまい、誰と何を話したのかよく覚えていない。
家に帰ってきて、うん、頑張ろう、と思ったよ。
お芝居の千秋楽、というのは、祭りの終焉を迎える様相に似ていないこともなく、華やかなんだけど、どこか寂しく感じてしまう匂いがあるように思う。
ぼくは劇団員という経験はないのだけれど、なんだか、わかるんだな、うん、わかるんだよ。
写真家・首藤幹夫氏の幻燈、というきっかけから唐組の世界を知り、その奥深さ格好よさに魅せられ、そして表現とはなんたるかをもう一度深く考えさせられ、気がついたらつごう三回、紅テントに足を運んでいたのであった。
三度目の、千秋楽を迎えた紅テントは、言語を絶するくらい、すごかった。
開演した直後から降り出した雨が、まるで過酷な試練のように、あるいは何かを祝福するかのように、容赦なく、テントの天井をたたきつける。
滝のような雨音が、テント屋根の素地に相乗効果を加えて、この世のものとも思えない轟音を響き渡らせる。
しかし、役者たちは負けちゃいなかった。
むしろ、豪雨が降りしきる花園神社の境内で、彼らは嬉々として最後の「黒手帳に頬紅を」の世界を熱演していた。
ああ、これも、表現活動に関わる者にとって、生きていてよかったなぁ、と、心の底から実感させてくれる瞬間なのであるよ。
打ち上げに混ぜて頂いたのだけれど、完全に余韻モードに入っており、なんだかうまく言葉が出てこない。
頭がぼーっとなってしまい、誰と何を話したのかよく覚えていない。
家に帰ってきて、うん、頑張ろう、と思ったよ。
2009-06-09
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