2020-11-07

とんかつ、ビール

早朝、猫たちに起こされ、ふわ吉にはカリカリを、カリカリが食べられない茶助にはちゅ〜るを与え、二度寝。

昼すぎ、先に外出していた嫁さんと待ち合わせて、調布駅前の「とんちんかん」へ。ご飯なしの単品で注文したにんにくカツを肴に、生ビール。昼飲み最高。。

夕方、茶助を連れてふたたびかかりつけの病院へ。先日、舌炎を抑えるための抗生剤の注射を打ってもらったあと、少しだけカリカリを食べられるようにはなったのだが、その後すぐにまたちゅ〜るしか食べなくなってしまった。10日間効果が持続する抗生剤なので、いまは他の薬が使えない。ということで、しばらく様子をみましょう、となり、栄養剤の注射だけしてもらう。ここ数日、立て続けにぶすぶすと注射を打たれる茶助。。しかしまったく嫌がらない。偉いなぁ。。

夜、録画しておいた「激走!シルクロード 104日の旅(2)イラン〜知られざる素顔に出会う」を見る。2年前に俺も行ったエスファハーンやテヘランの映像を見て、懐かしさを覚える。またいつか、彼の地に行ける日がくることを祈るばかり。。


2020-11-06

他人の振り見て・・

朝、ニュースを点けると、トランプがゴネまくってあちこちで選挙の妨害行動を直接・間接に取っているらしい。「声が大きい人間に、人は必ず靡く」ことを、元テレビタレントだったこの男は本能的に知っている。俺たちは、トランプから色々と学ばなくてはいけない。「声が大きい」人間が発する言葉には、自発的に考える能力を麻痺させる力がある。全米の半数近くの人々が、まんまとトランプの術中に陥った事実に怖れを感じなくてはならない。教養っていったいなんなんだろう、ということを、いちどきちんと考えなくてはいけない。

昼、そろそろ出棺か、という時間、自室から辻堂の方角に向かって合掌。

夕方、歯医者に行こうと玄関を出たら、なんだか夕陽と雲がすごいことになっていた。。


今日でほんとに最後の治療。銀を被せてもらい、これでしばらく続いた通院も終了。やれやれ、、

夜、おでんを肴に缶チューハイで献杯。飲んでいたら、ケイコちゃんからメール。2007年から2012年頃まで、鶴さんが続けていたブログのアドレスだった。まだ原宿に Jet Robot があった頃。ところどころに鶴さんの詩がある。ありがとう。


2020-11-05

辻堂

朝、テレワークで仕事開始。

昼、バスケットに入れた茶助を抱え、チャリでかかりつけの病院へ。先日処方された抗生物質はどうやら茶助の症状に合っていなかったようで、残った数日分を病院に返却。ここ数日まともにご飯を食べていないので、皮下点滴、栄養剤と抗生剤の注射をそれぞれ一本ずつ。これで良くなってくれればいいのだけれど。

午後、喪服に着替え、チャリで狛江へ。小田急線の藤沢で東海道線に乗り換えて辻堂で降り、歩いて和田湘南斎場へ。

会場に入ると、場内スピーカーからなにやら不穏な音が。。ほどなく、鶴さんが踊った時に使われた音だとわかった。棺の前で手を合わせ、眠っている鶴さんを見た瞬間に、この数日のあいだに溜め込んでいた感情が一気に溢れ、声をだして嗚咽した。

夕方、鶴さん、鶴山欣也氏の通夜。御焼香を済ませ、ロビーに向かおうとしていると、Jet Poet の面々や、原宿時代によくご一緒していた方々、鶴さんの舞踏の現場で一緒だった連中など、気がついたら顔馴染みが勢揃いしていた。思えば、鶴さんを介してとても多くの方々と交わった。人が大好きだった鶴さんには、ほんとに面白い人々が集まってきていた。鶴さんみたいなひとには、もう二度と出会えないと思う。

式の後、面談の列に並び、明日には荼毘に伏される鶴さんと、これで本当に最後のお別れを。Jet Poet の終演後、毎回のように鶴さんから「いつもありがとうな」と握手を求められていた。俺の方こそ、だったんだよ、鶴さん。ありがとう、鶴さん。またね。


夜、狛江に戻り、ぼっけもんに入ってニンニクラーメンで遅めの夕餉。


調布駅前の西友に寄って買い物をして、帰宅。さっと風呂に入り、缶チューハイで献杯し、就寝。


2020-11-04

混沌

朝、茶助はやっぱりぜんぜんご飯を食べてくれない。抗生物質が効いていないのだろうか。。

日中、米国大統領選のニュースを追いかける。かの国の東西に位置する都市部ではバイデンに、中心部はトランプに投票している傾向。票は、拮抗している。トランプのような人間を一国の長にしようと考えるアメリカ人が半数にものぼる、ということに、そこはかとなくカオスを感じる。

夕方、缶チューハイで、鶴さんに献杯。あまり、観念地獄に落ちないように。記憶を捏造しないように。ただただ、客観的に、鶴さんがいなくなった、ということを受け止めるように努力する。

夜、茶助がカリカリとちゅ〜るを食べるようになった。まだ量は元に戻らないけれども、少しずつ抗生物質が効き始めたか。


2020-11-03

鶴さん、六本木

朝、起きてメールを開いたら、平島聡さんから「鶴さん、やはり深夜に旅立ってしまった」との連絡あり。。。鶴さん。。

2017年8月、太鼓を持ってふらっと西早稲田 Jet Robot に向かった。それより遡ること2006年頃、Jet Robot がまだ原宿にあった頃、縁あって鶴さん主宰のインプロセッションに参加しはじめて、しばらくは毎月開催される同イベントに通っていたのだけれど、ほどなく、足が遠のいてしまった。それから何年も経って西早稲田に行った時、鶴さんに「おまえ、みたことあるけど誰だっけ?」と訊かれた。あ、シューヘイです。原宿で昔お世話になってました。というと、「おー、なんだおまえ、急にどうした?」というので、最近はずっと太鼓やっていて、Jet Poet に混ぜてもらえないかなーと思って。というと、ちょうどそれまで太鼓でレギュラー参加していたノブナガケンさんが辞めるタイミングだったこともあり、「おまえ来月からずっと来いよ」と誘ってもらったのだった。。

その、数年ぶりに参加した詩の朗読と即興演奏のセッション。俺が太鼓を叩いている最中に鶴さんから圧のあるダメが、静かに入った。客席の、一番奥で見ていた鶴さんの口元から、「プス、プス、プス、、、」と零れるようなシグナルが鳴った。出た。。。これがアングラで鍛えられた人間なりの、ダメ出し。音と音の隙間に、微かに刻まれる「プス、プス、プス、、、」は、耳に神経を集中させている奏者には歴とした異物として際立つ音。終演後、鶴さんに「俺があそこでダメだしたの、なんでかわかるか?」と訊かれ、「俺が too much だったんだよね」と答えると、鶴さんは満足そうに、でも、残念そうに、「民族音楽系の楽器やってる連中は、だいたいみんな『やり過ぎる』んだよ。おれは、それが言いたかった」と言った。俺は、それからはさらに「気配」を演ろうと心に決めたんだった。

2018年になり、鶴さんが踊る現場でも何度か誘ってもらった。おれは、plan-B のお手伝いをしていた頃、泯さんから「舞踏(BUTOH)とか言ってるやつらなんてダメだ」とかなんとか、洗脳をずっと受けていたこともあって(苦笑)、しかも泯さんとは超犬猿の中だという麿さんのお弟子さんである鶴さんと、まさに舞踏のライブをやるなんて!と、それだけでもう、なんだかかなり、嬉しかったのだ。

俺が、裏方として芝居の座組に参加している期間中、いちどだけ Jet Poet をお休みしたことがあった。ところが、稽古を終えて JR目白から山手線に乗ったら、次の高田馬場で同じ車両に鶴さんが乗ってきたのにはお互いに大笑いした。鶴さん、「おまえ、頑張ってんなー」とかなんとか、車内のベンチシートでめっちゃ酒くさい息を吹きかけながら、げらげら笑いながら絡んできた。あの時は、嬉しかったけど、正直ちょっと迷惑だったよ。。苦笑。。。

あるとき、鶴さんから、「おまえ、なんでまた Jet に戻ることにしたんだ?」と訊かれたことがあった。「なんで?」。それ、ものすごく長い話でもあるし、簡単な話でもある。でも、鶴さんなら、この一言でわかってくれるかな、と思って、「plan-B 時代に、泯さんにいじめられたのが悔しかったから」と答えた。鶴さん、苦笑しながら、俺が言いたかったこと、たぶん分かってくれたと思う。「おれたち、ああいう怖いひとたちに育ててもらって、いまこうして遊んでられるんだよな」とかなんとか、そんな風のことを鶴さんは返してくれた、と記憶している。

今年の4月28日、急に鶴さんから電話をもらった。コロナで Jet Poet を中断している最中のこと。これからどうしたらいいんだろう、どうすべきなんだろう、とか、でも、いつか必ず、完全ではないにせよ、限りなく元に近い状態にはなると思うよ、とか、そんなことを話したと思う。でも、そんなことより、鶴さんから電話をもらった、ってことが嬉しかった。ほんとうに。なぜなら、鶴さんも俺もお互いにシャイで、サシで電話するなんてちょっと考えられないことだったから。でも、鶴さんなりの愛情があって、おれのことを気にしてくれて、話なんかどうでもよくて、ただ電話をしてくれたんだと思う。

そう、鶴山欣也というひとは、とてつもなくシャイで、とてつもなく優しくて、とてつもなく悪戯っこで、とてつもなく表現に対して厳しくて、なにより、とてもつもなく周囲の人間に愛されていたひとだった。「だった」なんて、過去形でなんて、書きたくないよ、鶴さん。また Jet Poet で遊びたいよ。寂しい。ほんとに、寂しい。

午後、電車で京王線〜井の頭線と乗り継ぎ、神泉駅で降りて246〜六本木通りを歩いてストライプハウスギャラリーへ。青城さんの個展「あのころみえな かったそれはいまもみることができない」に伺う。青城さんの造形は、舞踏家の身体にインスピレーションを受けて造られたものであった。作品のひとつひとつに目を移すたび、つい、鶴さんのことを思ってしまう。あとから来場された初老のお客さんが青城さんと話し始めたので、テラスに出てタバコを吸っていたら初老の客人もタバコを取り出しながらやってきた。お互いに自己紹介をしたら、かの方はジャズボーカリストをされている方だった。そこから一気に話が盛り上がり、日本でのジャズ黎明期の話題から学生運動や自民党の話になり、果ては六本木〜麻布界隈の風水や地脈の話までぶっとび、二時間くらい喋り続けていた。笑いながら話を聞いているうち、気分はかなり、ほぐれた。ありがたい。助かる。

夕方、帰宅。リビングは、嫁さんが嵐のオンラインコンサートを見るためロックアウトされている。俺は作業部屋にこもり、鶴さんのことをあれこれ思い出した。鶴さんが湘南台でやっていたホルモン焼店は、けっきょく行く前になくなってしまった。鶴さんを誘って入魂のライブをやろうと画策していたのも、消えてなくなってしまった。同じひとを相手に、「やらなかった」ことで後悔する、ってことを2つも抱えてしまうなんて、ぜったいおかしい。おれは、なにかを間違えてしまっている。でも、反省しても、何も始まらない。

俺は長男だけども、もし俺に兄貴がいたとしたら、鶴さんだったのかな。



夜、缶チューハイを飲みながら、ネットに流れ始めた鶴さんの訃報を追いかける。そんなこと、何の意味もないのは分かっているのだけれど。


2020-11-02

鶴さん

朝、テレワーク開始。

昼、「ぶぶか」のカップ麺で昼餉。昼に摂るにはちょっとカロリー高め。

昼過ぎ、猫たちにご飯を与えるが、茶助はカリカリを与えるとやっぱり食べてくれない。

夕方、宅配ピザで夕餉。今日一日ほとんど動いていないのに、カロリー摂りすぎ。

夜、唐突に、鶴山欣也さんの訃報が入る。え!?と思い、Facebookに久しぶりにアカウントを作り、記事を見つける。どうやら、ほんとうの話みたい。いっきに力が抜ける。

・・・ところが、ほどなくして、情報の発信者本人が、訃報は誤報だった、と自らフォローアップしていた。。。。とりあえず、よかった。ほんとに。

焦ったよ、鶴さん。


2020-11-01

葉山

朝、録画しておいた「神と共に 第一章」を見る。。中川信夫の「地獄」とある意味では同種の映画なのだが、こちらは完全に家族向けの作品。最後は結局泣かされてしまった。。良い映画なのだけれど、他人に勧めるか?と言われたら、どうかな。。


午前、太鼓を積んだ車で、一路、葉山を目指す。家からたかだか60kmほどの距離だが、コロナ騒ぎが始まって以降初のプチ・ドライブ。苦手な横横道路への合流も無事に乗り越え、一時間とちょっとでHOUSE1891 by クロマニヨンに到着。俺も普段から使っているカンボジアのクロマーを直接買い付けて日本で販売促進しているわかなさん、はじめまして、の手作り帆布バッグ職人・とおるくんらとしばし四方山話したり、歩いてすぐのビーチをひとりで散策したり。天気もよくて、すでに休日気分をかなり満喫。



熊肉のミンチを使ったカレーで遅めの昼餉。熊肉、初めてだったが、思っていたほどクセがなく、美味。あとから合流したシアや、久しぶりのエミネらとゆったりした時間を過ごす。


夕方、BBQ 開始。黙々と七輪で肉を焼くシア。


焼いた肉や野菜を食べ尽くしたころ、シア、そしてハープ奏者の伊藤美恵さんとのセッション。ハープの響きがネイととても良い相性。マチカ、ニキ、エミネ、そして移住した北海道で結婚し、旦那さんを連れて一時的に神奈川に戻ったリリスらが踊ってくれてとても良い宴になった。思えばダンサーらもまじえて音楽のセッションをするのは本当に久しぶり。演奏が終わる頃には綺麗なお月さんも顔を出してくれて、印象深い夜。

夜、ニキ、マチカ、シアを車に乗せて東京に戻る。北参道でニキ、マチカと別れ、笹塚でシアを降ろし、帰宅。


さっとシャワーを浴び、日が変わる頃、就寝。